2017年4月29日土曜日

怪獣映画の撮影が呼び覚ます、町の悲しき過去と「ほんもの」の脅威『大怪獣記』



今晩は、ミニキャッパー周平です。第3回ジャンプホラー小説大賞の〆切まで2か月。応募者の皆さんはGWを最大限利用してください! そして、私は平日であろうと連休であろうと、毎週金曜26時にはホラーブログを更新します。

さて、昨年は映画『シン・ゴジラ』が大ヒットしましたが、実は昨今、書籍のジャンルでも、『怪獣文藝』『怪獣文藝の逆襲』『日本怪獣侵略伝―ご当地怪獣異聞集―』『多々良島ふたたび: ウルトラ怪獣アンソロジー』ほか、怪獣をテーマにしたアンソロジーなどが次々刊行されており、ブームと言っていい活況を呈しています。巨大で圧倒的な存在感をもって人々に恐怖をもたらす「怪獣」。その魅力が今改めて注目されているのかもしれません。

というわけで今回取り上げますのは、北野勇作『大怪獣記』です。


『大怪獣記』というタイトルの映画を撮影するので、その小説版を執筆してほしい、という依頼を受けた作家の「私」。映画の舞台と撮影場所は、「私」の住む町。小説版執筆のための取材として、撮影現場に通う「私」だが、あり得ないほどの規模のセットの中に迷い込んだり、いるはずのない怪獣に踏み殺されそうになったり、奇天烈な体験を繰り返すことになる。やがて、「私」は町に隠された悲劇的な過去を知ってしまう。

映画は果たして完成するのか。そして、映画撮影の真の目的とは何なのか……?
 
 分かりやすく内容を説明するとこんな感じですが、ただこれだけでは、作品が持っている奇妙さの半分も伝えられていません。たとえば、主人公の「私」は小説版を書くために、映画監督からシナリオを貰おうとするのですが、映画のシナリオライターは町の豆腐屋の息子で、「私」に対してシナリオを「おから」の形状で渡してきます。この「おから」は、実は一種の記憶媒体であり、調理して食べることによって頭の中に映画の色んなシーンが浮かんでくる訳です。

……何を言ってるのかよく分からない方もいらっしゃるかと思いますが、奔放な幻想小説のように見えて、背後にこういった(夢の中のような)不思議な論理が、強固に周到に張り巡らされているのが作風でもあります。

撮影に入る前には、スタッフ総出で謎の古文書を読む儀式が行われ、映画のセットが再現しているのは「私」の思い出の場所で、撮影現場では「私」に似た正体不明のエキストラたちが踏み潰され、町の回覧板では「映画の為に作られた怪獣が逃げ出したので気を付けて下さい」という注意書きが回る。そういった小さなエピソードは、不穏なばかりでなく出所不明の郷愁の想いを掻き立てます。そして、クライマックスで町に襲い来る異形が見せる一大スペクタクルは、呆然とするほかない強烈な「イメージ」を残していきます。

北野勇作作品に既に親しまれている方には、今回は大怪獣でクトゥルフでさらに楢喜八のイラストつきですよ、という風にご紹介しますし、まだ北野勇作作品を読まれたことのない方には、牧歌的で残酷で哀切でノスタルジック、そんなワンアンドオンリーな世界観に、ぜひ一度触れて欲しい、といった感じでご紹介したい、そんな一冊なのでした。