2018年12月29日土曜日

死者との交信がもたらす戦慄の『システム』。――長江俊和『禁忌装置』


 今晩は、ミニキャッパー周平です。気づけば2018年も残り3日、あっという間に一年が過ぎ去ってしまいました。第5回ジャンプホラー小説大賞の〆切日、20196月末まであと半年。受賞を目指す方はぜひ、お休みの時間を大事に使って原稿を進めて下さいね。私は冬休みを使ってとりあえず本をたくさん読むつもりです。

さて、本日の一冊は、長江俊和『禁忌装置』。


学校内で孤立している津田楓は、正体不明の差出人から頻繁に届く謎のメールに悩まされていた。“49945682450751280”という意味不明な数列のみが記されたそのメールは、「受け取った者を自殺に追い込む」という噂で語られるものだった。ある日、楓の唯一の友人であった希美が、楓の眼前で飛び降り自殺を遂げる。死んだ希美の携帯電話にはあの数列が書かれたメールが届いていた。恐怖を感じた楓は、連続自殺の真相を探るTVディレクター・岡崎令子の取材を受けるが――
一方、不倫した妻を殺害した男・浦恵介は、自らも死を覚悟して森の中を彷徨ううち、一軒の廃墟を見つける。廃墟に入り込んだ恵介が遭遇したのは、そこにいるはずのない人物。殺したはずの妻だった――

二つの異なる恐怖体験の先に存在するのは、とある研究者によって作り出された、死者が死者を呼ぶ「システム」の存在だった。

というわけで、初刊が2002年(初刊時タイトル『ゴーストシステム』)なので、携帯電話の「メール」が自殺を連鎖させる媒体となる、やや時代がかった内容ではありますが、単純な呪いの感染にとどまる話ではなく、「死」の先にあるものが何かを考察するというコンセプトも含んだ作品です。そういう意味で、個人的には、本書の一番の読みどころは、主要登場人物の一人が「死んでから」の視点で語られるパートの透明で異質な恐怖感だと思います。メインストーリーの合間に挟まれる、聖職者や心霊研究家によってなされたという、もっともらしい「死者との交信の記録」――録音機に入り込んだ死者の声だとか、テレビに霊を映す実験だとか――にも目を惹かれます(巻末の参考文献を見る限りでは、この辺りは『ムー』に載った記事の引用かもしれません)。

ところで、死者との交信という意味では、超メジャー作品ではありますが、星新一「殉教」(『ようこそ地球さん』収録)は、死者との完全な通信機が発明されたことで社会に激変がもたらされる、星作品の中でも屈指のおススメ作品です。また、SFマガジン20192月号に載ったばかりの、森田季節「四十九日恋文」は、死者と四十九日間だけ短文のやりとりができる世界での、少女二人の別離を描いた掌編で、短いながらも非常にエモーショナルに仕上がっており、こちらもおススメです。

2018年12月22日土曜日

その町に近付いてはいけない――井上宮『ぞぞのむこ』


こんばんは、ミニキャッパー周平です。今週土曜と日曜は幕張メッセでジャンプフェスタ本番日。ジャンプ作品のファンの方はぜひ足をお運びください。ところで私、幕張市ってジャンフェスのメッセにしか行ったことがなくて、人生のどこかで、あのめちゃくちゃ大きいという噂のイオンモール幕張新都心に行かなければならないと思っている次第です。

と、だいぶ強引な話題の変え方をしたのは、今日ご紹介するのはよく知らない「市」に関わった結果、大変なことになる話だからです。

今日の一冊は、井上宮『ぞぞのむこ』。



取引先に謝罪へ向かう途中、降りる駅を間違えた島本は、バスに乗り換えようと駅を出る。だが、同伴していた部下・矢崎から、すぐにここを離れた方がいい、なぜならここは《漠市》だから、と警告される。矢崎いわく、
●漠市には猫が一匹も住んでいない。
●漠市で自分の下宿していた近所には、同じ顔の人が44いた。
●漠市から出たら、速やかに石鹸で手を洗わないといけない
そんな矢崎の謎めいた警告に従わず、漠市で転んだ子供を助けた島本は、翌日、正体不明の女の訪問を受ける。女を部屋にあげてしまった島本の生活は奈落へと向かっていく……。このエピソード「ぞぞのむこ」をはじめ本書には、漠市とかかわったがために、(善悪や因縁で解釈する余地のない)不条理な怪異によって破滅していく人々の物語計5編が収められています。

漠市の文具店でハサミを万引きしようとした女が、事あるごとに異様な切断音を脳内に響かせ、捨てても捨てても戻ってくるハサミに取りつかれてしまう「じょっぷに」。介護施設で働く男が、認知症の老人たちを完全にコントロール下においている同僚の謎を探るうち、漠市の老人介護の方法を知る「だあめんかべる」、漠市の祠にお賽銭をあげてしまった結果、心に浮かんだ願いをすべて叶えてしまう神に囚われる「くれのに」、漠市内の屋敷に踏み込んでしまったために、邪悪な存在にとってかわられた少女の神隠し譚「ざむざのいえ」。いずれの作品も、超常的な存在にこれまで触れてこなかった人たちが、漠市というトワイライトゾーンに接近してしまったことで人生が暗転するストーリーです。そもそも全体として危険な漠市ですが、さらに漠市の中には、決して近づいてはいけない場所も多くあり、そのハザードマップがあったりします。

全ての作品において、漠市に居住経験があり、漠市でのタブーについて多少の知識がある若い男・矢崎が脇役として登場しますが、あくまで警告を与えるのみで、特に事件を解決できる能力があるわけでもなく、各篇の主人公たちは災厄に翻弄されるばかりです。

特に気に入ったエピソードは「くれのに」。《石鹸をくれ》とか《その電車、待ってくれ》みたいな、《~くれ》で終わるような願いと、《こいつが喋れなくなればいいのに》とか《あいつがいなくなればいいのに》などの《~のに》で終わるような呪いが少しでも心に浮かんだら、問答無用で叶えられてしまう。母親の小言にイラッとしてしまったら、次の瞬間に、目の前で凄惨な光景が……。

郷に入りては郷に従えと言いますが、皆さん、自分の知らない土地では、よくないものに人生を狂わされぬよう、詳しい人の言葉に従うことをお忘れなく。

2018年12月15日土曜日

たった31音に封じ込められた戦慄の一瞬。異色短歌ガイド――倉阪鬼一郎『怖い短歌』


こんばんは。ミニキャッパー周平です。普段はホラー小説を紹介していますが、今回は久々に「小説以外」をご紹介。本日の一冊は倉阪鬼一郎『怖い短歌』です。『怖い俳句』という俳句アンソロジーを編んだこともある著者が、膨大な量の歌集を調査し、様々な「怖さ」を感じさせる短歌を紹介するという一冊です。詠み手ごとに歌を挙げて解説していますが、「怖ろしい風景」「猟奇歌とその系譜」「向こうから来るもの」「死の影」「内なる反逆者」「負の情念」「変容する世界」「奇想の恐怖」「日常に潜むもの」と9つのカテゴリによる分類も試みられていて、短い音にこめられた多様な恐怖を堪能できます。



まず、教科書に載っているような有名人の意外な歌を見て、「こんな歌を詠んでいたのか」という驚きがありましたので三首挙げてみます(これ以降に引用する短歌の文字空き・改行はすべて本書に倣っています)。

<人形は目あきてあれど病める子はたゆげに眠る白き病室>

●(人間が目を閉じていて、人でない者が目を開けている。私は怖さよりも静謐な雰囲気と美しさを感じる歌でした。作者は「君死にたまふことなかれ」でおなじみの与謝野晶子です)


<むかしわれ翅をもぎける蟋蟀(こおろぎ)が夢に来りぬ人の言葉(くち)ききて>

●(恨みを言いに来たのか、それだけでは済まないのか。翅をもがれた虫の復讐はどれほどに及ぶのでしょうか。作者は国語の教科書の『山月記』で知られる中島敦です)


<誰か一人
 殺してみたいと思ふ時
 君一人かい…………
 …………と友達が来る>

●(この後に決定的な事態が起こりそうな緊張感でだいぶ怖いです。人の心に潜む闇、衝動的な殺意を活写した現代怪談のようなこの一首。作者はあの「一握の砂」の石川啄木です)


さて、ここからは、本書の中から私の特に気に入ったもの10本を選んでみました。私なりの感想ですが、編者の感想と被っている部分もあります。

<人工の街はさやけし雨上がりピアノ線首の高さに張られ> 山田消児

●(上の句の静かなムードと下の句の見つかる敵意のギャップにぎょっとします。現実に存在し得る情景であるのが怖いです)


<滅んでもいい動物に丸つけて投函すれば地震 今夜も> 我妻俊樹 

●(明言していないのに何の動物に丸をつけたのか、何が起こりつつあるのか全部理解できるのが巧いですし、発想もユニークです)


<献血かぁ 始発までまだあるしねと乗ったら献血車ではなかった> 伊舎堂仁

●(献血車でなかったものの正体を明言しないのが怖い。「誘拐犯の車」とかそういう現実的な恐怖ですらないのでしょうね)


<午前二時のロビーに集ふ六人の五人に影が無かつた話> 石川美南

●(影が無かったのが六人中「一人」ではなく「五人」であるのが肝。影のある一人の行方は……。これは「~話」で終わる連作歌の一編で、私が好きな歌人の一人です)


<幽霊になりたてだからドアや壁すり抜けるときおめめ閉じちゃう> 木下龍也

●(こんな風にちょっと可愛い歌も含まれています。こういう絵本あったら買ってしまいそうです)


<白いシャツにきれいな喉を見せている 少し刺したらすごくあふれる> 野口あや子 

●(『すごくあふれる』のひらがなの連なりが無邪気な猟奇感、キャラ性さえ感じさせます。血とも赤とも言っていないのに真っ赤な絵が思い浮かぶのも印象的)


<「殺虫剤ばんばん浴びて死んだから魂の引き取り手がないの」> 穂村弘

●(「 」でくくられた、セリフの形を取った歌。このセリフを口にしている者と聞いている者、発されている状況、イマジネーションを掻き立てまくる作品です)


<ゆふぐれにもつとも近き岬にて音もなくそれはぼくを攫つた> 荻原裕幸

●(正体不明の「それ」にどこへ連れていかれるのか恐ろしい反面、「それ」の登場するシチュエーションが詩情豊かで、いっそ攫われてしまいたい願望も浮かびます)


<されこうべひとつをのこし月面の静かの海にしずかなる椅子> 佐藤弓生

●(浮かぶ光景のスケールの大きさ、壮大なもの寂しさ。そこでかつて何があったのでしょう。SFファンとしてもグッとくる一首です)


<誰よりもきれいな死体になるだろう
  それが理由で愛した少女> 林あまり

●(「それが理由で愛した少女」というリズム感とエモさが完璧な下の句を、危険な上の句が引き出しているという構成。個人的に最も好きです)

という訳で、読んでいるうちに「この歌人の歌をもっと読んでみたい」とか、「自分もこういう短歌を詠んでみたい」と思わされてしまう一冊。短歌にまだ触れたことがない人も手に取ってみてはいかがでしょう。

2018年12月8日土曜日

人気ミステリ作家の描き出す現代怪異13編――似鳥鶏『そこにいるのに』


今晩は、ミニキャッパー周平です。まずPRから。第5回ジャンプホラー小説大賞募集開始にあたって、「ジャンプホラー小説大賞の傾向と対策」的な記事をJブックスのHPで公開予定です。第1回~第4回まで応募されてきた作品はどういったジャンルや主人公のもので、また、最終候補に残り受賞してきた作品はどういった内容のものだったかを、詳しく解説。1210日月曜より全3回で公開です。次回応募者の皆さん、ぜひお役に立てて下さい!

さて、本日ご紹介する一冊は、似鳥鶏『そこにいるのに』。



『理由(わけ)あって冬に出る』から始まる「市立高校シリーズ」などで、ミステリのジャンルで人気を博す作家の、初のホラー短篇集です。全13編を収録し、短いものでは10ページ足らずのものも多く、各篇に直接の繋がりはないため、空いた時間にサクサク読むことができます。たとえば「ルール(Googleストリートビューについて)」は、グーグルマップ用の幾つかの座標と注意書きで構成される内容で、僅か3ページの掌編。

グーグルマップに限らず、最新のツールを介した恐怖が多く含まれているのは本書の特徴です。その好例が、「痛い」という題名の短編。吉田美咲は平凡な会社員だが、ある日何気なく自分の名前でエゴサーチをしてみたところ、「吉田美咲 9/16 1929 新宿駅構内」というタイトルの動画が動画共有サイトに上がっていた。それは、美咲が駅でベビーカーを故意に蹴飛ばし、ベビーカーを押す女性に暴言を吐く動画だった。当然、動画のコメントは怒りの声で埋め尽くされていたが、美咲自身にはそんな行為をした記憶が全くないのだった。身に覚えのない迷惑行為動画は次々にアップロードされ……現代的な不条理ホラーの極みとも言える一本ででしょう。他にも、「写真」という題の作品では、デジカメで撮影した写真を、<パソコンに取り込んだり><携帯に送信したり><知人と共有したり>するというありふれた行為が、主人公と怪異との距離を縮めていくという設定で、こちらは某都市伝説を髣髴とさせつつ、現代だからこそ書ける最先端の恐怖を感じさせます。

収録作は現代怪談・都市伝説的な様相も見せています。ある日突然、頭の中で、<ポストを見に行かなければならない><ティッシュを屑籠に捨ててはいけない>などの妙な指令が響く、という短編「なぜかそれはいけない」などは、モチーフとなったであろう有名な怪談話が、巧みにアレンジされています。「二股の道にいる」に登場する、Y字路の交点に佇んでいて、特定の条件下で遭遇してしまうと災いを呼ぶ<Y字路おじさん>は、新たな現代怪談のモンスターにもなりそうです。

ほとんどの作品において、特に悪事を働いたわけでもない「普通の人」が、自室、帰宅の道、新幹線の車内など、日常的な場で正体不明なよくないものに憑かれ、悲惨な結末を遂げるというスタイルであり、それゆえにこそ、数少ない別ベクトルの作品はぐっと心に迫るものがあります。タイトルは伏せますが、その一作は「世にも奇妙な物語」の感動枠で実写化されそうな輝きを持っています。

冒頭におかれた「六年前の日記」は、小学三年生の女の子が遺した日記を読んでいく中で、巻末におかれた「視えないのにそこにいる」は、刑事である父親の残した捜査記録を読んでいく中で、それぞれクライマックスを迎える作品ですが、残された文書のラスト一行が読者に与える強烈な感情は、二作で全く異なったものになっています。計算尽くでこの二作品を最初と最後に配したのなら、なかなかに粋な仕掛けと言えるでしょう。



2018年12月1日土曜日

名匠が選んだ「本当にぞっとする話」。三津田信三編『怪異十三』


今晩は、ミニキャッパー周平です。今週も先週に引き続きホラーアンソロジーを。前回ご紹介した『だから見るなといったのに』に収録されていたのは全て二〇一四年以降発表の作品でしたが、こちらは一八八一年発表作から二〇一三年発表作までと射程範囲の広い収録作となっています。

という訳で本日の一冊は、三津田信三編『怪異十三』。
国内編7作品、海外編6作品。プラス番外編1編。編者が「ぞっとした作品」かつ「現在では埋もれている作品」を中心に、古典を多く集めた結果、マニア垂涎のラインナップとなったアンソロジーです。



まずは国内編から。私がぞっとしたものを挙げますと「竈(かまど)の中の顔」(田中貢太郎)、「蟇(ひき)」(宇江敏勝)、「茂助に関わる談合」(菊地秀行)の3作。
「竈(かまど)の中の顔」は、碁を通じて僧と知り合った男の話。男は、僧が住んでいるという庵に訪れたが、そこで見たものは……絵的な怖さと、間違いなく邪悪な何かが介在しているのに因果因縁が理解できない不条理さが沁みる一編です。
「蟇(ひき)」は山中に住み炭焼きをして生活している男の体験。本文僅か3ページの掌編小説ですが、瞬間的なインパクトは本書中随一。気づけば戦慄を求めて何度も読み返してしまいます。
「茂助に関わる談合」では、武士である叔父のもとに甥が深夜に訪れる。甥は、叔父から送られた奉公人・茂助について「人間ではない」と訴えるのだった。一幕劇で、肝心な情報が幾つも伏せられたまま緊張感が高まり、事態は思わぬ方向に転がっていく。怖がらせるための技巧が冴えわたる作品です。

「死神」(南部修太郎)は、もと車引きの男が、借金と家族を抱えて困窮し、自死に絡めとられていくストーリー。「妖異編二 寺町の竹藪」(岡本綺堂)は、友人たちに別れを告げて竹藪へ向かい、姿を消した少女の神隠し談。「逗子物語」(橘外男)は、山奥の墓場で見かけた、墓参りらしき三人組の素性についての話。「佐門谷」(丘美丈二郎)は、かつて父娘が不審死を遂げ、数日前にも男女が落ちて亡くなったという危険な谷を、夜に越えなければならなくなった男の体験。それぞれの作品で、ここが「魅せ」の場面、読者の心胆を寒からしめようとした箇所だというのが明確で、編者の眼鏡に適ったのも納得の内容です。

 海外編で最も私の背筋を寒くさせたのは、傑作短編「炎天」でもおなじみのウィリアム・フライヤー・ハーヴィーが書いた「旅行時計」。家に旅行用の携帯時計(たぶん懐中時計のようなもの)を忘れたので取ってきてほしい、と頼まれた女性の話。小さなアイテム、さりげない謎から「あり得そうなのに得体の知れない怖さ」が浮かび上がる一本。私が「ぞっとした作品」は短いものばかりになっているのですが、情報の少なさが想像を掻き立て、無限に嫌な連想をさせるということなのかもしれません。
「アメリカからきた紳士」(マイクル・アレン)は、賭けのため、幽霊が出るという噂の屋敷に一晩泊まることになった男の話。屋敷のベッドの傍には怪談本が置いてあるのですが、その本に書かれた(つまりは作中作である)姉妹二人の恐怖譚も映像的で強く目に焼き付きます。

「ねじけジャネット」(ロバート・ルイス・スティーヴンスン)は、村で魔女扱いされている女を雇った牧師の体験。「笛吹かば現れん」(モンタギュウ・ロウズ・ジェイムズ)は、浜辺の遺跡で見つけた笛を吹いたことで、形のない何かを呼び寄せてしまう物語。「八番目の明かり」(ロイ・ヴィガース)は、一日の終わりに、地下鉄の電気を消灯して回らなければならない鉄道員の怪談。「魅入られて」(イーディス・ウォートン)は、「夫が、死んだはずの女と逢瀬を重ねている」と訴える妻の話。国内編の作品と読み比べると、海外編の方が(超自然要素を前提としていても)理性的に読み解けそうな作品が多い印象があります。

巻末には番外編として、編者・三津田信三の短編「霧屍胆村(きりしたんむら)の悪魔」も収録。隠れキリシタンの村に調査のため訪れた女性が、教会で見た光景にはどこか違和感があり……。細かな伏線を張り巡らせ次々回収する、作者の手腕は短編でも発揮されています。

本書には編者による丁寧な作品解説がついていますが、その中で、「理想の読書体験」として、その作品がどういったジャンルのものなのか(ホラーのように超自然的な作品か、ミステリのように合理的な作品か)知らずに読むことだと言及されています。収録作の中には、完全に合理的な説明がなされて成程と膝を打たされる、つまりは「ミステリ」として優れたものもありますが、どれがそれなのか、何本入っているのかは(編者の意向も汲んで)読んでのお楽しみということで。