2019年4月27日土曜日

大量出血度ナンバーワン、緋色の幻想アンソロジー――津原泰水監修『血の12幻想』



今晩は、ミニキャッパー周平です。『呪術廻戦』の初ノベライズ『呪術廻戦 逝く夏と還る秋』の刊行(5/1)に合わせて、作者の芥見下々先生へインタビューを行っていますので、そちらも宜しくお願いいたします。
前回予告していた本はまだ本棚から見つかっていないので、GW中に何とか発見できれればと思っています。今日はその代わりに本棚から出てきた一冊、前回ご紹介した『悪夢が嗤う瞬間』の執筆陣のうち一人が監修した本を取り上げます。

というわけで、今回は、津原泰水監修『血の12幻想』。



幻想小説家・津原泰水の監修するアンソロジー・シリーズ『12幻想』のうちの1冊で、初刊は2000年。主にホラーや幻想小説の書き手12名が、血をテーマに短編を書き下ろしたアンソロジー。あくまでお題はであり吸血鬼に限定している訳ではない、というのがポイントで、この企画でなければ書かれなかったであろう特異な短編が多数収められています。

まず“血”を象徴として扱った作品群が3編。
菊地秀行「早船の死」。野球部のキャッチャーであった少年が手首を切って死んだ。その友人でありピッチャーを務めていた主人公は、死の理由に心当たりがあった。若者の純粋な心や、情熱の儚さを血に仮託した一本。
鳴海あきら「お母さん」は、娘に対する干渉が度を越しており、狂気さえ感じさせる母親の姿から恐怖を浮かび上がらせ、さらに血の繋がりを呪縛として描きます。
柴田よしき「夕焼け小焼け」は、幼い頃に母の死に直面した少女が、血だまりに浮かぶ母の死の光景を生涯引きずりながら、転落人生を送るというストーリー。

ジャンルで言えばホラー・サスペンスの作品が最も多いです。
倉阪鬼一郎「爪」は幻想度の強いホラー。かつて惨劇の中で自ら命を絶った主人公は今、獲物を求めて道を彷徨っている。この世ならぬ存在の持つ魔の力が、断片的に、暗示的に語られます。
恩田陸「茶色の小壜」は“奇妙な味”風味のサスペンス。事故現場で適切な応急処置を施した、看護学校出身の女性。一見したところ普通に思える彼女だったが、正体不明の茶色の小壜を大事に持ち歩いており……。
竹河聖「死の恋」は、古代ローマが舞台。ネロ帝の治世において発生した少女の変死事件。その陰には、燃えるような愛憎と、怪異が潜んでいた。
北原尚彦「凶刃」は、ヴィクトリア朝ロンドンの物語。連続殺人を起こした切り裂きジャックが何者だったのか、そして、凶行はなぜ終わりを告げたのかを、ジャック本人の視点から解き明かします。
山村正夫「吸血蝙蝠」は、初出が1977年つまり昭和なので、これも現代が舞台でない作品と言えます。新作を書き下ろす予定だった山村正夫が急逝したため、唯一の再録となった作品です。大学時代の友人が、吸血鬼の実在をほのめかすような言葉を最後に姿を消し、蝙蝠を握りしめた死体となって発見される。その真相を追う、ゴシック風味の怪奇ミステリです。

そして――“血”という物体そのものを重要なモチーフとして描いた作品群は、出血量も非常に多く、想像するだけで眩暈を起こしそうな内容になっています。
小林泰三「タルトはいかが?」は、同棲し始めた相手の作るお菓子がとても美味しくて、三食お菓子で済ませてしまうほどの中毒性があり……という発端。タルトの隠し味は説明するまでもないでしょうが、二転三転する展開が見事です。
田中啓文「血の汗流せ」は、熱血野球少年・星吸魔(ほしきゅうま)が主人公。彼は血食人の眷属の子供、つまり血食児童(けっしょくじどう)であり、汗腺から汗の代わりに血が流れてしまう体質のために、他人を惨殺し吸血しながら野球に励む。押し寄せるダジャレと地獄絵図に圧倒される青春野球スプラッタードラマ。
田中哲弥「遠き鼻血の果て」は、ある日目が覚めると、凝固した血で満たされている浴槽の中にいて、身動きが取れない状態になっている男の災難。どうも血は自分自身の鼻血らしい。致死量を超えているようにも見えるけれど、それはともかくガチガチに固まって動けないことが問題、というスラップスティック。
津原泰水「ちまみれ家族」は、祖先の因縁によって、日常的に血まみれになってしまう一家のブラックコメディ。飛び降り自殺者にぶつかったり喧嘩に巻き込まれたり猛獣に遭遇したりとにかく毎日のように血だらけになる家族。傷の治りは早いし血は慣れっこになってしまっているから、血が目立たないよう内壁を黒塗りした家で暮らし、衣服もすぐ買い替える。彼ら一家が、周囲をドン引きさせながら、夥しい量の血に彩られる日常を送るという、異色過ぎる作品。

という訳で、平成最後のホラーブログを、血だらけな一冊でお送りしました。GWはこのブログはお休みします。皆さま、よいGWを。そして令和になってもジャンプホラー小説大賞をよろしくお願いします。

2019年4月20日土曜日

星新一ショートショートコンテスト受賞者の編んだ超短編ホラーアンソロジー。太田忠司編『悪夢が嗤う瞬間』


今晩は、ミニキャッパー周平です。以前、こちらのブログで取り上げた澤村伊智『恐怖小説キリカ』が文庫化され、文庫版あとがきが書き足されたということで読んでみたのですが、そこで当ブログに言及されていて死ぬほどビビりました。嬉しいやら恥ずかしいやら。もしご興味がおありの方は、あの小説は本一冊で完成形なので、先にあとがきから読んだりせず前から順にお読みください。凄い作品です。

そんな驚きもありましたが、ブログの内容はこれまで通りマイペースでいきたいと思います。本日は、部屋の整理をしていて出てきた本・第2弾です。買い間違えたのか2冊出てきたので紹介しないわけにはいかないでしょう。

太田忠司編『悪夢が嗤(わら)う瞬間』。勁文社という今では無くなってしまった出版社から1997年に刊行されたホラーアンソロジーです。



《記憶》《躰》《蟲》《訪問者》《家》《夜》《死》の7つの章に分かれ、執筆者は井上雅彦・太田忠司・奥田哲也・小中千昭・斎藤肇・津原泰水・早見裕司・矢崎存美で、全26作品を収録。最初のページに《星新一先生へ》と献辞が書かれている通り、編者・太田忠司と、執筆者のうち井上雅彦と斎藤肇は、星新一ショートショートコンテストの出身者。この3人の受賞作はすべて広義のホラーであり、『ショートショートの広場1』で読めます。

星新一のショートショートホラーのうち、初期のものは明確な結末を持つものが多い一方で、後期になると(『どこかの事件』あたりから)、リドルストーリー的であったり異様な余韻をもたらすものだったりと傾向が変わっていったのですが、『悪夢が嗤(わら)う瞬間』に収録されているのはどちらかといえば後者に近い味わいのもの。実は、星新一自身はコンテストへの応募作品から影響を受けて作風を変えていった、という説もあるようです。

26作品すべてを取り上げていたらきりがないので、8人の作家の収録作のうち、1作家1編ずつについてご紹介します。
津原泰水「微笑面」は、別れた妻の顔だけが空中に浮かんでつきまとってくる、という状況もラストシーンも本書で最もインパクトの強い作品。
奥田哲也「時の器」は、兄を殺してバラバラにした死体を、タイムリミットまでに必死で樽に詰め込もうとする、という設定にシュールなおかしみがあります。
矢崎存美「夜の味」は、自分の指の皮を食べるという悪癖のある男の、その“癖”がエスカレートしていく、描写が軽妙なのにグロテスクな一編。
早見裕司「寝台車の夜」は、雪の夜に停車している列車の窓を、何者かが恐ろしい形相で叩いているという、情景の美しさと事態の不吉さのコントラストが鮮やかです。
太田忠司「シンボル・ツリー」は、住人の意思に反してアパートを潰した後、住人から押し付けられた苗木から何が育つのか、という発端に引き込まれます。
井上雅彦「夜を奪うもの」は、夜を愛する男女たちが何者かの手で夜を奪われる、という不可解過ぎる謎に回答が与えられつつ、幻想と恐怖の両方が味わえる作品です。
斎藤肇「人生の目的」は、自分の口から毎日数個の石が出てくるようになった男はどのような人生を歩んだか、というユーモラスなほら話。
小中千昭「夜はいくつの目を持つ」は、“他人に見られている”こととその視線の方向を感覚として察知できるようになった女性の、謎めいた物語。

選んでみると《夜》の章に収録された作品に好きなものが多いようで、自分の趣味に気づかされます。
せっかくなので、本書の10年後に井上雅彦が(やはり星新一を意識して)編んだショートショートホラーアンソロジーについてもご紹介しようと思ったのですが、まだ私の家の本棚から発掘されていません。来週にご期待ください(見つからなければ別の本になります)。



2019年4月13日土曜日

明治の文豪からSF作家まで、多彩な面子のヴァンパイアアンソロジー。東雅夫編『血と薔薇の誘う夜に 吸血鬼ホラー傑作選』

今晩は、ミニキャッパー周平です。新年度を迎えるに当たってフレッシュな気分になりたい、と部屋の本棚の整理を一日がかりで行ったところ、普段はあまり意識していない、全身の様々な箇所の筋肉が悲鳴を上げています。今回は、その本棚整理の際に発掘した本の中から一冊をご紹介したいと思います。

という訳で、東雅夫編『血と薔薇の誘う夜に 吸血鬼ホラー傑作選』。国内作品を集めた、2005年刊行の吸血鬼アンソロジーで、時代を横断した作品ラインナップが魅力です。



 巻頭を飾るのは文豪・三島由紀夫の「仲間」。ロンドンを舞台に、住まいを求めて漂泊していた父子が、偶然知り合った男性の家に招かれ親しくなる、という筋立て。一見、大きな事件は起きないのですが、父親が明らかに人間ではない挙動をしたり、時間経過に変な部分があったり、などの謎を散りばめた末に、意味深なセリフで終わるという、様々な解釈ができる異色の作品です。その特異性からWikipediaに記事があったりします。

 続く3編は、須永朝彦「契」、中井英夫「影の狩人」、倉橋由美子「ヴァンピールの会」と、日本幻想小説史に名を残す作家たちの作品群。
「契」は楽器演奏と吸血行為を重ねて官能的に描く掌編。文章の美しい切れ味は詩を思わせます。
「影の狩人」は、酒場でオカルト的な蘊蓄を語る男と、彼に惹かれて近づいていく青年の逢瀬の物語。自身が“燔祭の贄”として狙われていると知りながら身を委ねようとする青年の姿に、同性愛的な感触も含むストーリーになっています。
「ヴァンピールの会」は、海の見えるレストランで、たびたびワインを囲む謎のグループについて描かれます。洒落た道具立てと秘密クラブの備える妖しさに、旧仮名遣いの端正な文体が華を添えます。

 その次におかれた作品は種村季弘「吸血鬼入門」。ドイツ文学の研究者であり、様々なヨーロッパの文化・歴史トリヴィアの紹介者でもあった著者の手による、限りなくエッセイに近い一本。9分9厘までは作家や編集者との交友録なのですが(三島由紀夫も登場)、スパイスとしてほんの少しの怪奇要素がまぶされています。

 この後に続く5編はもう少し時代が新しいもの。
夢枕獏「かわいい生贄」は、吸血鬼一人称視点の話ですが、主人公が完全に“童女を襲う中年の変質者”として描かれており、『そうなの。ぼく、ちゅうねんのおじさんです。』という語りで始まる文章からも、吸血鬼のイメージを覆す気持ち悪さが滲みだす一本です。
梶尾真治「干し若」の主人公は、産業廃棄物を投棄するために訪れた土地のラーメン店で、2年前に”干し殿”を名乗る吸血鬼を倒した、と称する人々に巡り合います。彼らは、今もニンニクや魔よけのグロい食材を詰め込んだ餃子を常食していて……先の展開が予測できない、軽妙なコミカルホラー。
新井素子「週に一度のお食事を」は、地下鉄で吸血鬼に噛まれて自らも吸血鬼になってしまった女子大生の話。吸血衝動に身を任せた彼女の軽はずみな行動から、あっという間に吸血鬼が増えて話のスケールが広がってしまうところに面白みがあります。
菊地秀行「白い国から」は、雪の街を舞台にした抒情的な一本で、短篇集『黄昏人の王国』にも収録されており、以前にこのブログでもご紹介したことがあります。詳しくはそちらの記事をご参照ください。
赤川次郎「吸血鬼の静かな眠り」は、別荘の地下室で棺を見つけた幼い姉弟を襲う怪異。子供の等身大の視点だからこそ高まっていく恐怖の形を描きます。

 この先のゾーンはなんと、江戸川乱歩「吸血鬼」、柴田錬三郎「吸血鬼」、中河与一「吸血鬼」、城昌幸「吸血鬼」という、「吸血鬼」タイトル4連発。
江戸川乱歩の作品は吸血鬼の正体を“早すぎた埋葬”に絡めて解き明かそうとするエッセイ。
柴田錬三郎の作品は、妻の死を受け入れることができず、その死体を掘り起こしてともに生活する男の狂気から、衝撃的でグロテスクなシーンを導く一本。歴史小説家という著者のイメージからは意外な中身です。
中河与一は、横光利一や川端康成と同じ“新感覚派”に分類される作家。母の死後、父が家庭に連れてきた女がなぜか若返っていくことに怯える娘が主人公。超常現象そのものよりも女性の情念のドラマを焦点に据えています。
城昌幸は、星新一以前に優れた超短編を多数執筆した“ショートショートの先駆者”。エジプトを舞台に、現地のアラブ人女性を妖艶に描きだして、異国情緒たっぷりに吸血鬼を描きます。ラストの急転直下の展開は、ショートショートの名手の面目躍如です。

 ラストに置かれた2本は資料的価値の高いもの。

E&H・ヘロン原作、松居松葉「血を吸う怪」は、1898年に書かれたイギリス人作家の短編を、1902年に邦訳したものの復刻。実はこれ、日本に初めて西洋の吸血鬼譚が紹介された例なのだそうです。内容は、旧家の別荘で起きた変死&心霊事件の解決、その犯人は……という比較的シンプルなもの。ですが編者が指摘している通り、当時の訳者が吸血鬼という概念を理解していなかったために決定的な誤訳がある、というのが見どころ。

巻末の百目鬼恭三郎「日本にも吸血鬼はいた」は論考。今昔物語集など、吸血鬼が海外から紹介される前、日本にあった吸血鬼を連想させるエピソードを紹介しています。

 この本が出てから既に十四年。もしまたこういったアンソロジーが編まれることになれば、更に新しい作品を収録してまた違ったラインナップになることでしょう。その目次を勝手に想像してみるのも楽しいかもしれません。

2019年4月6日土曜日

「橋」はこの世とあの世を繋ぐ……中野京子『怖い橋の物語』


今晩は、ミニキャッパー周平です。平成最後の一カ月をみなさんいかがお過ごしでしょうか。思えば“平成”の時代は、『学校の怪談』ブームや『リング』のヒットに代表されるJホラーの潮流など、日本のホラーが盛り上がった年月でした。“令和”の時代にもたくさんのホラーを送り出していけるよう、努力したいものです。さて、今回ご紹介するのはホラー“小説”ではありません。

本日の一冊は、中野京子『怖い橋の物語』。



著者は、名画を恐怖の視点から解説・鑑賞する『怖い絵』シリーズで知られる人。本書は同シリーズのテーマを絵画から“橋”に変えたような一冊で、古今東西の史実・伝承・フィクションの“橋”にまつわるエピソード、全55話を紹介していく異色の本です。奇・驚・史・情の4章に分かれており、ホラー寄りのエピソードはほぼ“奇”の章に集中しています。

“悪魔が造り、その代価に魂を要求した”という伝承の残るスイスの橋。
スコットランドに実在する、なぜか犬が次々に水面に飛び込んで死ぬ橋。
三島由紀夫の短編に描かれた、女性たちが願いを叶えるためのまじないを行った橋。
『今昔物語』で語られた、武士が肝試しをした、鬼の住まう橋。
このように、橋という存在の魔術的な意味を感じざるを得ない話が次々に繰り出されます。
圧巻は「死者専用の橋」の項で、死者があの世へ渡るための橋について多数紹介されています。長くなりますが引用してみます。

ゾロアスター教におけるチンバッド橋(審判者の橋)は、罪の大小によって幅が広くなったり狭くなったりと伸縮自在。マホメット教におけるアル・シラト橋(細長い橋)は剣のごとく尖り、両側は茨の棘で覆われている。ユダヤ教の場合、罪深い偶像崇拝者は糸より細い橋を渡らねばならない。これらはどれも、落ちた先には極熱地獄が待っている。
ネイティヴ・アメリカンのヒューロン族は、死の川に架かる丸太橋について語り伝える。そこには番犬がいて飛びかかってくるので、死者の多くは橋からころげ落ちてしまう。マレーシアには巨大な鉄釜に架かる橋、ニューギニアには蛇でできた橋と、人間の想像力は逞しい。(p58)

世界中に、橋で死後の世界に渡るイメージが分布していることにも、そのバリエーションがこれだけ豊富なことにも驚きですし、著者の博識にも驚かされます。
この「死者専用の橋」の項には、三途の川についての解説もあります。現代の日本では三途の川を船で渡る伝承がよく知られていますが、実はそれは平安末期に形成された考えらしく、それ以前には三途の川に橋が架かっているイメージだったそうです。それは“三途”の語源に関わっていて……なんていう話も初めて知りました。
“奇”以外の章に紹介されているエピソードでも、ゴールデン・ゲート・ブリッジの飛び降り自殺をテーマにした映画、さらし首の骨が150年も残っていた橋、生きた人間用ではなく鎮魂のために作られた橋、橋と結婚した女などなど、興味をそそられる話が満載。

本書を読み終わった後は、“橋”が日常と異界を繋ぐ場所だというイメージが刷り込まれ、通勤通学などで普段渡っている“橋”にも不思議な感慨を覚えること必至でしょう。