今晩は。ミニキャッパー周平です。今日は長くなりますので、前置きなしにご紹介を。
J・L・ボルヘス他『ラテンアメリカ怪談集』(鼓直・編)です。
このシリーズは、『イギリス怪談集』『フランス怪談集』『東欧怪談集』『中国怪談集』など、80~90年代にかけて刊行された各国・地域の怪談集シリーズなのですが、昨年末この一冊のみが復刊されました。
ラテンアメリカといえばマジックリアリズム小説豊穣の地。日常の中に、現実ではあり得ないことや、スケールの大きすぎる事態が平然と入り込み、それが当たり前に受け入れられ、奇妙な世界が創り上げられていく――そんな手法を得意としていて、純文学/ファンタジー/ホラーといった本邦でのジャンル区分では語りづらい作品が多いです。このアンソロジーにも、ボルヘス、コルタサル、パス、フエンテスなど、ラテンアメリカ文学の重要人物と呼ばれる作家がずらりと顔を揃えています。
※以下、各短編を、作者(出身国)「作品名」の形で表記してご紹介していきます。
まずは分かりやすくホラーらしいホラーから。
アンデルソン=インベル(アルゼンチン)「魔法の書」は古書ホラー。蚤の市で見かけた本には、魔術的な文字で、キリストと同時に生まれたとされる伝説の不老不死の人物「さまよえるユダヤ人」の自伝が書かれていた。そこには世界の宗教史を覆す内容が含まれていた……。普通には読むことができず、文字列に意識を没入して読み続けないと、気を抜いた瞬間すぐに文章が読めなくなり、冒頭から読み直す羽目になる。そんな鬼畜仕様の本に心を囚われてしまった男の運命は?
オカンポ(アルゼンチン)「ポルフィリア・ベルナルの日記」は耽美ホラー。家庭教師である女性は、自身の教え子から日記を見せられますが、その中身は彼女の隠された顔を暴き、恐るべき運命を予言するものでした。
普通ならホラー以外のジャンルに区分される作品も少なくありません。
ルゴネス(アルゼンチン)「火の雨」は古代を舞台にした災害小説。明言はされていませんが恐らくは噴火で滅んだ日のポンペイ、その地獄絵図を、見てきたかのような臨場感たっぷりの筆致で、しかし、破滅を受け入れた男の視線から静かに描いています。
ビオイ=カサレス(アルゼンチン)「大空の陰謀」は、テストパイロットが試作機の飛行で墜落して、地上に戻ってくると、誰も彼のことを知らない奇妙な世界に迷い込んでいた……というSF的な興趣をもったもの。
レサマ=リマ(キューバ)「断頭遊戯」は古代中国を舞台に、幻術使い(生物を操ったり、誰かの首を切ったあと元通り繋げる、などといった奇術・魔術を行う)の流転する人生を描く伝奇物語。
ボルヘス(アルゼンチン)「円環の廃墟」は著者の代表作の一つである幻想小説。神殿の廃墟でひたすら眠り、夢を見続ける男の目的は、夢の中で一人の人間を創造することだった。夢の中で創造された人間の行動は……? 無限の世界に思いを馳せる哲学的な内容です。
恋愛がモチーフになった作品も、やはり一筋縄ではいきません。
キローガ(ウルグアイ)「彼方で」は、大恋愛の果てに心中を選んだ女性の語りですが、心中して命を落とした後も、彼女の語りは平然と続きます。生前の思い通り、愛した男と逢瀬を重ねるものの、やがて……。人間の魂の脆さが胸に刺さります。
アストゥリアス(グアテマラ)「リダ・サルの鏡」は、意中の男を手に入れようと、恋のまじないに手を出した女を待ち受ける悲劇。まじないは、男が祭礼で着ることになっている服を先に一度着ておくという素朴で微笑ましいものですが……? 最後の一文の悲しい美しさは、この本の中でもピカイチです。
アンソロジーとしての目配りらしく、コミカルな作品も挟まっています。
モンテローソ(グアテマラ)「ミスター・テイラー」は、干し首の収集がブームになるというブラックユーモア。先進国の道楽によって途上国が被害を被る、という文明批評の側面も。
ムヒカ=ライネス(アルゼンチン)「吸血鬼」では、見た目が非常に吸血鬼っぽい男爵が、その見た目をホラー映画製作陣に見込まれて、主演を務めることに。製作陣はホラーのプロであるため、「こんなにも吸血鬼っぽい人は吸血鬼ではないだろう」という逆先入観に囚われていますが、案の定、男爵は本物の吸血鬼でした。非常に大仰な文体なのにホラーを茶化すような展開の連発で、読んでいる間くすくす笑ってしまいました。
さて、いよいよ本書の本領である、怪談と言うか幻想文学というか純文学と言うか、ほのめかしに満ちて、どこまでが現実でどこからが超現実なのかわからない、そんな面妖な作品群です。私としても、あらすじは理解できても、解釈を一つに定めにくいものばかり。
リベイロ(ペルー)「ジャカランダ」。大学で教鞭を執っていた男が妻を亡くし、その土地を離れようとしていた。ところが、彼の後任でやってきた女性の素性が、どうにも彼の亡くなった妻のそれと同じものらしい。一体何が起きているのか、結末をどういう感情で受け止めるべきなのか、読後も頭を悩ませる作品です。
ムレーナ(アルゼンチン)「騎兵大佐」では、軍人の葬儀に紛れ込んだ、冒涜的な振る舞いをする怪しい男が登場します。フエンテス(メキシコ)「トラクトカツィネ」は、古い屋敷に引っ越した男が、別世界めいた庭で謎の老婆に遭遇します。どちらも、不吉な存在の禍々しさは伝わりつつ、正体はよくわかりません。
そして、こういう謎めいた方向性の歴史的作品が、コルタサル(アルゼンチン)「奪われた屋敷」。中年の兄と妹がふたりで暮らしている大きな屋敷。兄が読書を、妹が編み物をして過ごす平凡な生活は、しかし徐々に侵食されていく……屋敷を奪おうとする者の狼藉によって。緊張感と切実さに満ちており、二人の諦観とそれを超える悲しみは胸を打ちます。が、屋敷を奪っていく存在が何者なのか、具体的にどうやって奪っていっているのか、(兄妹には分かっているのに)読者には、最初から最後までさっぱり分からないという恐るべき構成。想像力をくすぐられること請け合いです。
読書好きには、奔放なイマジネーションに満ちたラテンアメリカ文学に出会って、人生が大きく変わった人も大勢いると思いますが、その入り口にもなり得るアンソロジーです。ホラーという範疇には括りづらくなっていくので、これ以上はこのブログの扱う範囲からズレて行きますが、手に入りやすい本として、ボルヘス『伝奇集』、コルタサル『悪魔の涎・追い求める男
他八篇―コルタサル短篇集』などもお勧めしておきます。