2017年10月28日土曜日

家族を喪った少女を守る、心優しき霊……オーガスト・ダーレス『ジョージおじさん ―十七人の奇怪な人々―』

今晩は、ミニキャッパー周平です。ホラー賞の宣伝隊長として、最新のホラーをチェックしつつ、ホラーの歴史に少しでも詳しくなれるよう、クラシックホラーも探る毎日です。そんな中で、埋もれていた往年の名作に光を当てる『ナイトランド叢書』シリーズに嵌まっています。
今回ご紹介する短編集は、そのシリーズから、オーガスト・ダーレス『ジョージおじさん―十七人の奇怪な人々―』。


ダーレスが何者かご存知ない方に説明しますと、ホラーの歴史においては、出版社≪アーカム・ハウス≫を立ち上げ、師であったラヴクラフトのホラー作品群を出版し、宇宙的暗黒神話「クトゥルー神話」として体系化してプロデュースした功績で知られています。つまりクトゥルー神話を世に広めた重要人物。
ダーレス本人も、クトゥルー神話に連なる小説を書いていますが、本書は、非クトゥルーものの短編集。十七本を収録していますが、その作品は意外にも、因果応報ものや復讐譚、ジェントル・ゴースト・ストーリーなどが占め、不条理なものはほぼありません。

この本の中では、基本的に、後ろ暗い部分を抱えている人間にはその報いが追ってくることになっています。釣り仲間を死に追いやった判事が謎の釣り人に遭遇する「パリントンの淵」、完全犯罪をもくろみ叔父を殺したばかりの男が列車の中で不審な乗客に出会う「余計な乗客」などは、読者に怪異の正体・結末は予感させつつ、ぞっとする細部の演出で読ませます。
怪現象の先に、なんらかの罪があぶりだされるという短編も多く、線路上に正体不明の男が現れては消失してを繰り返す「B十七号鉄橋の男」、風もないのに一本の木が名前を呼ぶような風音を鳴らす「ライラックに吹く風」、全身ワインの臭いをさせる男が宿屋に訪れる「マニフォールド夫人」、履いていると戦場の幻覚を見てしまう靴の呪い「死者の靴」など。これらの短編では、過去に何があったせいでこんな現象が起きるのか、という疑問について、明確でミステリ的といっていい回答が用意されています。そんな中、町ぐるみで行われる秘密の夜の祝祭を描いた「ロスト・ヴァレー行き夜行列車」は、唯一、謎ときにの先に、クトゥルー的な茫洋たる読後感が待ち構えています。
不思議なアイテムによって運命を狂わされてしまう人々を扱った作品も多く、「青い眼鏡」は、善人でない者が使用すると災いが起こる、という眼鏡を手に入れた好色な伊達男が、「プラハから来た紳士」は、教会からいわくつきの宝飾品を盗み出したバイヤーが、「幸いなるかな、柔和なる者」は、魔人の封印された瓶を拾った少年とその祖父が、それぞれどんな結末を辿るかが見所です。このタイプの作品では、放蕩者の甥から、アメリカ先住民の干し首(!)をプレゼントとして送られた男が主人公の「客間の干し首」が、結末のどんでん返しも華麗で好みです。

上記のように多数の怪異を取りそろえた本ですが、本書を読み通した時に強い印象を残すのは、霊orもしくは霊的な力を持った存在と、か弱い人間との絆。エモーショナルで読者の心を強く動かす作品が、この本のエッセンスでもあるのです(ただし、だいたいストーリーはぶっそうで人が死にます。作中登場する食べ物にはおおむねヒ素が入っています)。

死後も想い人の屋敷に留まり続けた女性との逢瀬を描く「マーラ」は妖しくも哀切。湖の中に子供を引きずり込もうとする孤独な霊の物語「アラナ」は痛切なまでにやるせない。少年と亡くなった祖父の霊がチェスを指す、「ビショップス・ギャンビット」はヒカルの碁を連想させなくもない展開が爽快。継母に虐待される子供を、近所に住む魔女めいた女性が守る「ミス・エスパーソン」などは不気味でありつつ感動的。両親を失った少年の傍に寄り添い続ける長命の猫にスポットを当てた「黒猫バルー」などは、痛快さと残酷さが同居していて、いわく言い難い読後感を残します。
そして、一番の傑作はやはり、本書の表題作となっている「ジョージおじさん」。保護者であったジョージおじさんを亡くし、莫大な遺産を相続した少女・プリシラは、金に目がくらんだ親族三人から命を狙われる。ジョージおじさんの死を受け入れられず、その帰りを待ち続けるプリシラに迫る、親族たちの魔手。しかし、死んでもジョージおじさんはプリシラを守り続ける……。無垢な子供にとっては護り手となり、欲にまみれた大人にとっては断罪者となる、人間以上に血の通った霊。その温かさに泣かされてしまう好編です。

というわけで、クトゥルー神話の重要作家による非クトゥルーもの、というやや変化球的な(それでも、粒ぞろいの)短編集を紹介しましたが、次回は(恐らく)全力でクトゥルーものの作品をご紹介します。



2017年10月21日土曜日

ニューヨークを襲う連続変死事件に魔女の影が――A.メリット『魔女を焼き殺せ!』



今晩は、ミニキャッパー周平です。だいぶ前からボリビアのウユニ塩湖とやらに行ってみたいのですが、往復と宿泊を考えると、なかなか行けるほどの休みが取れそうにありません。編集者という職業的には仕方ない部分だとは思いますが。

しかし、世の中には、編集者でありながら余暇に世界中を旅し、オカルト好きゆえに旅行先の各国の武器・彫刻・仮面をコレクションし、さらに自宅で魔術の研究をしたり薬草を栽培したりオカルト本を五千冊も収集したりして、ついでにホラー小説も書いてしまう、などという超人のような人もいまして……。

というわけで今回ご紹介する作品は、A.メリット『魔女を焼き殺せ!』。一九三二年にパルプ雑誌に連載されたのを初出とする小説です。


ニューヨークの医師・ローウェルは、神経学と脳疾患を専門とし、異常心理の権威として知られる名医だった。ある日の深夜一時、彼の医院に急患が運ばれてきた。患者につきそっていたのは裏社会の首領・リコリ。患者はリコリの右腕として働いていた男だった。患者は意識があるのに喋ることもできず、何者かを恐れるような表情と、悪魔に憑かれたごとき邪悪な表情とを繰り返した末に心停止、更に心臓が止まった三分後におぞましい笑い声を上げる、という奇怪な死を遂げた。似た症例を探すためローウェルがニューヨーク中の医師に問い合わせしたところ、この半年の間に、七件もの同様の事例が発生していたことが判明する。その犠牲者は、銀行家や慈善家、サーカスの空中ぶらんこ乗りや十一歳の少女などバラバラで、共通点も判明しない。ローウェルは医学的観点からその不審死の原因をつきとめようとするが、リコリは事件を「ラ・ストレガ」すなわち「魔女」のしわざだと叫ぶ――。

本書を一読して分かるのは、二十世紀初頭あたりまでの怪奇幻想小説に比べて、現代のホラー小説に読み味がかなり近いこと。本作よりだいたい二十年くらい遡った時代の小説は「溜め」が長く、ムードを高めるための舞台設定にページを割くことが多いのですが(その結果として、おどろおどろしさの割に犠牲者が少なくて済んだりします)、本作のスピード感は完全に現代の書き下ろしホラー文庫と同じか、それ以上。実は上記のあらすじで十九章分のうちまだ二章分の内容で、ローウェルとリコリが事件を捜査し始めてその犯人と手段をつきとめようとするものの、まだ犠牲者は(安全圏にいると思われた登場人物も含め)ガンガン増えていきます。打ちのめされつつもローウェルは犯人の奇怪なやり口を解き明かし、事件の根源である「魔女」と対峙するのですが……相手はこちらの手の内を見透かし、人形を用いたファンタジックに見えて残酷きわまる魔術で人間を葬り去っていく、強大な魔女。本当に倒すことができるのかどうか、ハラハラやきもきさせられます。

容赦なく事態が進行するスピード感(そしてそこから生まれるエンタメ感)はキングやクーンツの先駆にも見えますが、これはパルプマガジンの連載が初出という事情や、メリットがファンタジーを書いてきた経験が生きたのかもしれません。

ちなみに一九三二年といえば、ミステリ作家エラリイ・クイーンが「Xの悲劇」「Yの悲劇」「エジプト十字架の謎」を発表した年であり、また、ハクスリーがディストピアSF「すばらしい新世界」を発表した年でもあり、様々な小説ジャンルで同時に、現代に繋がる橋が架けられていたように感じます。

前述のとおり、世界各国を旅行している上にオカルト趣味のあったメリットは、様々な時代・場所での「邪悪な力」についての知識を持っていたようで、終盤で披露されるその知識は、物語のスパイスとしてかなり贅沢な使われ方をしており(今回の事件で用いられたのと同じ魔術は、実は様々な時代の様々な場所、人類の原初から使われていたのだ――という風に)、本書でも個人的にお気に入りの部分のひとつです。

意外だったのは、後半に行くにつれてあらゆる手がかりが魔女の実在とその超常的な力を示すにもかかわらず、主人公のローウェルが、後催眠や暗示など、同時代の科学で何とかその存在を合理的に説明できないかと苦労している点。もちろん、どんどん無理筋になっていきます。上に述べた魔術蘊蓄も含め、「科学が魔術の存在を消し去った時代に、魔女をテーマにしたホラーで読者を恐がらせること」に挑戦したメリットの企みがほの見えるかのようです。




2017年10月14日土曜日

名匠たちの「泣ける」ホラー10編――井上雅彦編『涙の招待席 異形コレクション傑作選』

今晩は、ミニキャッパー周平です。突然ですが日本語の雑学から。「鳥肌が立つ」という表現は、恐怖や寒さ、不快感によってもたらされるネガティブな生理的感覚を指すのであり、感動した時に「鳥肌が立つ」という表現を使うのは誤用なのだそうです。が、そんなことを言われても、感動した時に鳥肌が立ってしまうのは事実なので、私は日本語のルールなど無視して、この表現をどんどん使っていきたいと思います。

そんな前置きを挟みたくなるほど、今回ご紹介する本は、読みながら何度も、鳥肌が立ってしまう一冊だったのです。というわけで本日は、井上雅彦編『涙の招待席 異形コレクション傑作選』。




1998年から2011年まで刊行され、約50冊を数えた伝説の書き下ろしホラー・アンソロジー『異形コレクション』。本書は、その膨大な作品群から、涙を誘う感動の物語に絞って厳選したという一冊なのです。よって、収録作は「ホラー」でありながら「泣ける」ストーリーばかり。

冒頭に置かれた短編、「のちの雛」(作・速瀬れい)の題材になっているのは、第二次大戦前に、日米交流で日本に寄付された西洋人形たちです。はじめは小学校などに飾られ、大切に扱われた西洋人形ですが、日米の開戦後に憎悪の対照になり、ほとんどが焼却・破壊されました。史実の悲劇を告発しながら、幻想の力によって傷ついた人の心を癒す、優しい物語です。「夢淡き、酒」(作・倉阪鬼一郎)も太平洋戦争が影を落とす作品です。演歌歌手になる夢をもった男と、自身の店を持つ夢をもった女の幸福の日々が、戦火に奪われてしまいます。回想形式で語られる男の一生はペーソスに満ちていて、ほんの僅かな救いが一層切なさを引き立たせます。

現世に残された人間が、死者との超常的なコミュニケーションを得る、という趣向の作品も少なくありません。「燃える電話」(作・草上仁)は、幼馴染だった電話好きの女性の死に呆然とする男が、か細い希望にたどり着く物語。ばらまかれた謎のピースがぴたりと嵌まって、タイトルの意味が分かる結末に震えます。掌編「そのぬくもりを」(作・傳田光洋)は、僅か7ページの短さの中で、我々の普段思い描くのとは異なった幽霊のありようが示唆される哲学的な一編。唯一の漫画作品である「帰ってくる子」(作・萩尾望都)では、喪った弟の幻影を見てしまう少年の、思春期の葛藤が生々しく切り取られます。「失われた環」(作・久美沙織)は、男女のすれ違いを入り口に、ある種の彼岸の光景をファンタジックかつ鮮やかに描きだします。

人ならざる者は、ホラーでは恐怖を与えてくるのが定石ですが、この本の中では少し違います。廃校になって久しい過疎地の小学校が、工事でダム底に沈むことになり、かつてその小学校に通った仲間たちが集う、「再会」(作・梶尾真治)は、思い出の中にいる正体不明の<友達>が残した奇跡が、ノスタルジーたっぷりに描かれます。「異なる形」(作・斎藤肇)は、医師を主人公とし、唯一の肉親である娘が徐々に羽や鱗の生えた異形の存在と化していく、という悪夢的事態が描かれ、怯えと愛情で揺れる主人公の姿に胸を打たれます。掉尾を飾る短編「雪」(作・加門七海)は、劇団に所属し、舞台上に降らせる紙吹雪を作っている男が、入院先の病院で化生の女に遭遇する、というストーリー。人間と妖の絆の儚さが印象深く、クライマックスシーンの映画的な美しさにも圧倒されます。

このアンソロジー内での一押しは「語る石」(作・森奈津子)。幼い少女が父親の書斎で、しゃべる石に出会うという筋立て。少女と石の交流をコミカルに描きつつ、剽軽な性格をもち奇妙な雑学を教えてくれる石がいったい何者なのか、なぜ石なのか、というのが物語のキモなのですが、ぜひお読みになってその正体を確かめてみてください。


『異形コレクション傑作選』が今後も続くこと、『異形コレクション』が復活することを、ホラー読者の一人として強く願っております。

2017年10月7日土曜日

理性を焼き尽くす紅蓮の災禍――ステファン・グラビンスキ『火の書』

こんばんは、ミニキャッパー周平です。夜食を買いに会社の外へ出たら、危うく引き返しそうになるくらいの強烈な寒さでした。ついこの間まで夏だったはずなのに、秋はどこへ行ってしまったのでしょうか、完全に冬です。

冬だからこそ、温かくなるような本を読みたいものですが、今回取り上げます本は、少々熱量の度が過ぎているようで――というわけで、本日のテーマはステファン・グラビンスキ『火の書』。



ポーランドの怪奇幻想作家が1922年に刊行した作品集を元に一編をさしかえ、インタビューなども収録した本なのですが……炎をイメージした真っ赤な表紙に、焦げ跡のような黒ずんだ手形がついているという、造本からして燃え盛る火属性のオーラを纏った一冊となっています。帯には『炎躍る、血が沸き立つ。』と大きく書かれており、書店で見かけるとビビるほどの存在感です。そして収録されている短編9編は、いずれも火や煙に関する恐怖、狂気、強迫観念を題材にしているという超コンセプチュアルな本なのです。

たとえば、冒頭の短編「赤いマグダ」は、消防士が主人公なのですが、彼の娘は「勤める場所すべてで原因不明の火災が起きてしまう」というジンクスを負っており、主人公は、火から人々を守るべき消防士としての立場と、娘を想う父親としての立場の板挟みになります。
同じく消防士ものである「四大精霊の復讐」の主人公は、火事を研究し続けた結果、火に対する魔法じみた耐性をもつに至った消防本部長。荒れ狂う火災現場でも火傷を負わず生還し続けるヒーローとして活躍していたものの、やがて炎そのものからの復讐に遭い……。

この二編に限らず、火という得体の知れない存在が、人間のまっとうな営みを飲み込み、食い散らしていく様が描かれます。「火事場」は、誰が家を建てても火災で燃え落ちてしまうといういわくつきの丘に新居を建てた家族の末路。「炎の結婚式」は、火災現場でしか性的興奮を満たせない男の悲劇。「ゲブルたち」は、精神病院内で誕生した、火を崇拝する宗教団体が行った、狂騒的な儀式の顛末。「煉獄の魂の博物館」は、霊が出現したとされる場所に残された焦げ跡を収集する、風変わりな司祭の数奇な運命。……多くの作品が、致命的な結末に至るであろう予兆をはじめからみなぎらせていて、やがて業火に焼かれるか、炎のごとく暴力的な破壊に襲われて劇的に幕を閉じる。その中で繰り返し登場する火や火災や煙は、獰猛かつ神秘的に描かれており、人間を惑わして狂気へ導く生命、人類を陥れる悪魔そのもののように見えます。火に酔う、あるいは火に憑かれる登場人物たちに引きずられるように、一気に読むと熱病にかかったかのごとく、くらくらしてしまいそうです。

煙突掃除人が恐怖体験を語る「白いメガネザル」、かまどの火が燃える傍での悪夢の一夜を描く「有毒ガス」など、火の暴力性が直接描写される訳ではない短編でも、火炎の周辺に潜むまがまがしい何者かの存在を感じさせられます。唯一、火のもつ幻想性を、暴力以上に美しさに振り向けた「花火師」はメルヘンチックな作品で、達人と呼ぶべき技術をもつ花火職人の情熱的な一生を描いており、これはロマンスのアンソロジーに入れてもよい一編です。

火への恐怖と畏怖と陶酔をふんだんに詰め込み、人間の根源的な感覚に訴える、まさしく『火の書』という題名にふさわしい、荒々しくも誌的な一冊です。冬の寒さも忘れるような本ですが、火事の多い季節ですので、皆様どうぞ火の用心をなさってください。

(CM)私が担当した作品2冊、白骨死体となった美少女探偵が謎を解く『たとえあなたが骨になっても』、自殺志願者をあの世へ送るデートクラブを描く『この世で最後のデートをきみと』をどうぞよろしくお願いします。そして第4回ジャンプホラー小説大賞へのご応募もお待ちしております。