2017年9月9日土曜日

一文という短さの中に閉じ込められた恐怖の一滴――吉田悠軌『一行怪談』

彼が目を覚ました時、まだ恐竜はそこにいた。

というのが、アルゼンチンの作家、アウグスト・モンテローソの短編小説「恐竜」の全文。「世界一短い小説」として有名で、原文ではわずかに単語7つ分という短さながら、「彼」がどういう状況に置かれているのか、深い想像の余地がある物語として高く評価されています。もっとも、世界にはタイトルが一文字で本文が一文字の小説とか、タイトルだけで本文が無い小説とかが存在しているので、これが「世界一短い小説」かどうかは疑わしいのですが。

それでは、ホラー読者が気になるであろう「世界一短いホラー小説」とは? 有名なのは、フレドリック・ブラウンの短編小説「ノック」の中でも紹介された、二文からなる以下の無題の小説。

地球にのこされた最後の人間が一人で部屋の中に坐っていた。と、ドアにノックの音がして……

解説を加えるのも野暮というものですが、地球最後の人間の部屋にノックをしたのは「誰か」という点に、この物語を怪談たらしめるものがあるわけですね。短いからこそ説明がなされず、想像力をくすぐって瞬間的な恐怖を胸によぎらせる、という技法です。

前置きが長くなりましたが、今回ご紹介する本は、これらと同じくらい短いホラーを200篇近くも収録した、吉田悠軌『一行怪談』です。


もともとは同人誌として発表された『一行怪談』『一行怪談2』を一冊にまとめたもの。「題名は入らない」「文章に句点はひとつ」「詩ではなく物語である」「物語の中でも怪談に近い」以上を踏まえた一続きの文章、というコンセプトで書かれたものを収めています――とはいえ、百聞は一見にしかず。収録されている作品を、まず3作ほど載せてみます。

今すぐ家から出なさい、と電話の向こうから叫ぶ母の声を聞きながら、すぐ横でテレビに笑う母を見つめている。

ある朝を境にずっと、教室の隅のカーテンが人の形に膨らんでいて、もう一ケ月、誰も開けられないでいる。

実家の薄暗い廊下の向こう、奇妙な高さから首だけ覗かせた両親が「おかえりなさい」と笑いかけてくるのだが、こちらが何と言おうと玄関口まで来てくれない。

「自宅」「学校」「実家」……身近な場所に忍び込む、正体不明の何者か、あるいは何か。短いセンテンスでも一瞬ぞくりとさせられます。また、ご覧いただければ分かるように、物語性もありつつ、短い言葉で印象的な光景を描くという意味で、短歌や俳句のような風流めいた趣もあります。

もう少し長い作品だと、更にサスペンスや幻想性の色濃く、よりショートストーリー的なものも増えてきます。以下に私の好きな2編を。

誕生日のたび、鉈(なた)と花束を持った女が現れ、窓の外から祝いの言葉を叫ぶのだが、花の数は毎年一本ずつ減っていて、今年はついに鉈だけを手にした女が来ることになる。

ある夏の夜、屍臭を発する巨大花を見ようと植物園に忍び込んだ少年四人組のうち、三人は大人になるまでにその冒険をすっかり忘れてしまい、一人は今も花弁に包まれ、誰かが自分を思い出してくれるのを待ち続けている。

この後起こりうる出来事を想像させる、心にわだかまりを残すなど、強い「余韻」をもたらす、という意味で一行怪談という手法が優れているというのがお分かりかと思います。一作品読むたびにページを閉じて恐怖の余韻を味わいたい。こういった作品が、一ページにつき一作おさめられていて、最後のページまで油断の抜けない一冊となっています。


夜枕元において読むのに最適ですが、すぐ読み切ってしまうので、ぜひ続編、続々編と刊行していってもらいたい企画です。また、優れた句集や歌集がそうであるように、「自分も書いてみたい」とも思わされるものです。もしかしたら、この本をきっかけに、一行怪談というジャンルが広まっていくかもしれません。