今晩は、ミニキャッパー周平です。新年度を迎えるに当たってフレッシュな気分になりたい、と部屋の本棚の整理を一日がかりで行ったところ、普段はあまり意識していない、全身の様々な箇所の筋肉が悲鳴を上げています。今回は、その本棚整理の際に発掘した本の中から一冊をご紹介したいと思います。
という訳で、東雅夫編『血と薔薇の誘う夜に 吸血鬼ホラー傑作選』。国内作品を集めた、2005年刊行の吸血鬼アンソロジーで、時代を横断した作品ラインナップが魅力です。
巻頭を飾るのは文豪・三島由紀夫の「仲間」。ロンドンを舞台に、住まいを求めて漂泊していた父子が、偶然知り合った男性の家に招かれ親しくなる、という筋立て。一見、大きな事件は起きないのですが、父親が明らかに人間ではない挙動をしたり、時間経過に変な部分があったり、などの謎を散りばめた末に、意味深なセリフで終わるという、様々な解釈ができる異色の作品です。その特異性からWikipediaに記事があったりします。
続く3編は、須永朝彦「契」、中井英夫「影の狩人」、倉橋由美子「ヴァンピールの会」と、日本幻想小説史に名を残す作家たちの作品群。
「契」は楽器演奏と吸血行為を重ねて官能的に描く掌編。文章の美しい切れ味は詩を思わせます。
「影の狩人」は、酒場でオカルト的な蘊蓄を語る男と、彼に惹かれて近づいていく青年の逢瀬の物語。自身が“燔祭の贄”として狙われていると知りながら身を委ねようとする青年の姿に、同性愛的な感触も含むストーリーになっています。
「ヴァンピールの会」は、海の見えるレストランで、たびたびワインを囲む謎のグループについて描かれます。洒落た道具立てと秘密クラブの備える妖しさに、旧仮名遣いの端正な文体が華を添えます。
その次におかれた作品は種村季弘「吸血鬼入門」。ドイツ文学の研究者であり、様々なヨーロッパの文化・歴史トリヴィアの紹介者でもあった著者の手による、限りなくエッセイに近い一本。9分9厘までは作家や編集者との交友録なのですが(三島由紀夫も登場)、スパイスとしてほんの少しの怪奇要素がまぶされています。
この後に続く5編はもう少し時代が新しいもの。
夢枕獏「かわいい生贄」は、吸血鬼一人称視点の話ですが、主人公が完全に“童女を襲う中年の変質者”として描かれており、『そうなの。ぼく、ちゅうねんのおじさんです。』という語りで始まる文章からも、吸血鬼のイメージを覆す気持ち悪さが滲みだす一本です。
梶尾真治「干し若」の主人公は、産業廃棄物を投棄するために訪れた土地のラーメン店で、2年前に”干し殿”を名乗る吸血鬼を倒した、と称する人々に巡り合います。彼らは、今もニンニクや魔よけのグロい食材を詰め込んだ餃子を常食していて……先の展開が予測できない、軽妙なコミカルホラー。
新井素子「週に一度のお食事を」は、地下鉄で吸血鬼に噛まれて自らも吸血鬼になってしまった女子大生の話。吸血衝動に身を任せた彼女の軽はずみな行動から、あっという間に吸血鬼が増えて話のスケールが広がってしまうところに面白みがあります。
菊地秀行「白い国から」は、雪の街を舞台にした抒情的な一本で、短篇集『黄昏人の王国』にも収録されており、以前にこのブログでもご紹介したことがあります。詳しくはそちらの記事をご参照ください。
赤川次郎「吸血鬼の静かな眠り」は、別荘の地下室で棺を見つけた幼い姉弟を襲う怪異。子供の等身大の視点だからこそ高まっていく恐怖の形を描きます。
この先のゾーンはなんと、江戸川乱歩「吸血鬼」、柴田錬三郎「吸血鬼」、中河与一「吸血鬼」、城昌幸「吸血鬼」という、「吸血鬼」タイトル4連発。
江戸川乱歩の作品は吸血鬼の正体を“早すぎた埋葬”に絡めて解き明かそうとするエッセイ。
柴田錬三郎の作品は、妻の死を受け入れることができず、その死体を掘り起こしてともに生活する男の狂気から、衝撃的でグロテスクなシーンを導く一本。歴史小説家という著者のイメージからは意外な中身です。
中河与一は、横光利一や川端康成と同じ“新感覚派”に分類される作家。母の死後、父が家庭に連れてきた女がなぜか若返っていくことに怯える娘が主人公。超常現象そのものよりも女性の情念のドラマを焦点に据えています。
城昌幸は、星新一以前に優れた超短編を多数執筆した“ショートショートの先駆者”。エジプトを舞台に、現地のアラブ人女性を妖艶に描きだして、異国情緒たっぷりに吸血鬼を描きます。ラストの急転直下の展開は、ショートショートの名手の面目躍如です。
ラストに置かれた2本は資料的価値の高いもの。
E&H・ヘロン原作、松居松葉「血を吸う怪」は、1898年に書かれたイギリス人作家の短編を、1902年に邦訳したものの復刻。実はこれ、日本に初めて西洋の吸血鬼譚が紹介された例なのだそうです。内容は、旧家の別荘で起きた変死&心霊事件の解決、その犯人は……という比較的シンプルなもの。ですが編者が指摘している通り、当時の訳者が吸血鬼という概念を理解していなかったために決定的な誤訳がある、というのが見どころ。
巻末の百目鬼恭三郎「日本にも吸血鬼はいた」は論考。今昔物語集など、吸血鬼が海外から紹介される前、日本にあった吸血鬼を連想させるエピソードを紹介しています。
この本が出てから既に十四年。もしまたこういったアンソロジーが編まれることになれば、更に新しい作品を収録してまた違ったラインナップになることでしょう。その目次を勝手に想像してみるのも楽しいかもしれません。