2019年2月9日土曜日

幻想の夜市へ、かつて売った弟を買い戻すため――恒川光太郎『夜市』



今晩は、ミニキャッパー周平です。第5回ジャンプホラー小説大賞は6月末日まで絶賛募集中ですので、どしどしご応募ください。さて、このブログも今回で120回目の更新となりますが、ここまで来ると、紹介したことがある本なのか、紹介したことが無い本なのか、記憶があやふやになってきます。紹介したつもりになっていて、人から「あの本は取り上げないの?」と聞かれ、慌てて確認して未紹介だったことが発覚したのが今回の本。

という訳で、本日の一冊は、恒川光太郎『夜市』。ホラー/幻想小説の優れた書き手として知られる作家の記念すべきデビュー作です。



大学生のいずみは、高校時代の同級生である裕司に誘われ、森の中で開かれる夜市に辿り着く。それは、永久放浪者が黄泉の河原の石を売り、一つ目ゴリラが何でも斬れる刀を売り、葉巻カウボーイが首を売り……という、この世ならぬ存在たちがこの世ならぬ品々を売る不思議な市だった。そして、ひとたび夜市に入ったが最後、何か一つ買い物をしなければ外へ出ることはできないのだ。

実は裕司には、小学生のころ弟とともに夜市に迷い込んだとき、弟を人攫いに売って野球の才能を買ったという過去があった。弟がこの世に存在していた痕跡は一切消えてしまい、家族や知人からもその記憶は失われていた。大学生になった裕司は、弟を買い戻すために再び夜市に訪れたのだった。だが、そんな裕司に、人攫いは大きな代価を要求する……。

悪魔との取引”というオーソドックスなホラーの素材を、和風の夜市という“舞台”の設定でオリジナルなものに料理して見せた作品です。作者は“ここではない場所”を鮮やかに描きつつ、人生の哀切を浮かび上がらせるという技に秀でています。本作でも、夜市の幻想的な光景は、昏い華やかさとも呼べるような美をたたえていて、その一方で、弟を売った兄、兄に売られた弟、それぞれの喪失感に満ちた人生の物語に胸を締め付けられます。
そういった作風は、もう一編の収録作「風の古道」にも表れています。

七歳の頃、“私”は花見に行った公園から不思議な道に踏み入ってしまう。その道は未舗装で、道の両脇に並ぶ家はどの家も玄関を道側に向けておらず、電信柱やポストや駐車場も存在せず、人の気配もない。“私”は、心細く、恐ろしい思いをしながら何とか普通の道に帰り着いた。

その五年後、十二歳の夏休みに、友人のカズキにかつての体験を話したことがきっかけで、“私”はカズキとともにもう一度その道に入ることになる。ところがどこまで行っても普通の道に戻ってくることができない。親切な青年・レンに助けられてようやく帰路を見出したかに見えたが、道中でカズキが瀕死の重傷を負ったことで、旅の目的は一変する……。

現実世界のすぐそばに存在しながら、一部の人しか入ることのできない古道。そこを異形の存在達が歩いていく場面には、恐ろしさとともに奇妙なノスタルジーを喚起させられます。古道の旅人は種を持っていて、彼らが道中で斃れたらそこに芽が生え、やがて大樹に育つ、という世界観にもグッときます。物語の後半で焦点が当たるのは、古道で生まれ育ち旅を続けるレンの人生。(我々の住んでいる)現実世界の方には決して立ち入ることのできない彼の、過去と現在に迫るうち、作中では幾つもの“別れ”が描かれます。その一つ一つはきっと読者の心に残るものになるでしょう。