『ぼぎわんが、来る』などでおなじみの大人気作家による作品集で、ノンシリーズの短編集はこれが初。ヒーロー役が存在し怪異の由来が解かれる「比嘉姉妹シリーズ」(『ぼぎわんが、来る』『ずうのめ人形』『ししりばの家』『などらきの首』)と違って、この短編集はヒーロー不在ですから、手の施しようのなかったり理解を超えていたりする恐怖が描かれる率が高いです。
「ひとんち」は、古い友人であった三人の女が久々に集まって近況を語り合っていく、という導入。そのうち一人が語ったのは、結婚を考えていた相手の家に訪ねた折、家の中で奇妙な儀式をさせられたという話だった――よく知っているはずの相手が、家の中では、倫理観が全く壊れた異様な環境下で平然と暮らしている、という点で、長編『ししりばの家』を髣髴とさせる内容ですが、前述の通り短編ですので、起きている事態は暗示されるものの結末はむしろ迷宮に誘われるようなものです。
「夢の行き先」の主人公は、小学生5年生の健吾。彼は“マンション内で、薙刀を持った老婆に追いかけられ、殺される直前で目を覚ます”という夢に悩まされていた。オカルト本で除霊の方法を調べ、何とか夢から解放された健吾だったが、今度はクラスメイトの匡が、夢の中で同じように老婆に追いかけられ始めたのを知る……この展開から更にもう一捻り。“徐々に近づいてくる怪異”というメリーさんタイプの作品は世に数あれど、ここまでトリッキーな展開のものは唯一無二でしょう。本書内の一推し作品です。
「闇の花園」は、全身を黒い衣装で包み、学校内で誰ともコミュニケーションを取らず孤立している少女の話。担任教師は、彼女の挙動の原因を、親による虐待ではないかと疑う。案の定、母親はいわゆる電波系な妄想を垂れ流す人で、教師は何とか少女を母親から助け出そうとするが……。ここまで超常に振り切った内容は、作者の中では珍しいものです。
「ありふれた映像」はスーパーの鮮魚コーナーで流される販促映像の中に、異様なモノが映っていた、という怪異を発端とするストーリー。呪いのビデオをモチーフとした『リング』が大ヒットしたのは90年代でしたが、あれから20年以上が経って、“映像”が町中に大量に溢れるようになった今だからこそ書かれた作品と言えます。
「宮本くんの手」でスポットが当たるのは、異常な手荒れに悩まされる男。手がひび割れ、皮が大量にむけ血が溢れるという症状が、薬を塗っても治らずエスカレートしていく。原因不明に見えたが、実は手荒れがひどくなるタイミングには、とある法則があり……。この“法則”が何なのか示された瞬間には、伏線回収の妙技に膝を打ちました。
「シュマシラ」のテーマはUMA。UMAをモチーフにした昔の食玩シリーズに、唯一元ネタが不明なものがある。元ネタとなった猿人型UMAの情報を得ようと、マニア的関心から調査をしていた好事家たちだったが……。長編と同じく、どこまでが実在の妖怪の話でどこからが作者の創作か分からせない、巧妙な嘘のつき方が素敵です。
「死神」は、友人から突然、植物とペットを預かるよう頼まれた男の話。預かった生物たちを世話しているうち、自分の記憶がふいに消えるようになり、やがて友人との連絡が途絶え……。物語の冒頭でこの作品のジャンルがどういうものか暗示されていますが、媒介となるアイテムを変えるだけでこれほど読み味が変わるのかと驚かされます。
「じぶんち」の主人公・卓也は中学2年生。学校のスキー合宿を終えて深夜に帰宅すると、家の中の様子がおかしい。両親と弟の姿が無いのに、電気も炬燵もテレビもついている。一方で、家の各部屋は暖房が消えてしばらく経ちひんやりしており……。“メアリー・セレスト号事件”のような失踪現象がほかならぬ我が家で起きる、という話ですが、卓也の前には、家族の失踪の謎に引き続いて、不条理ともいえる恐怖が次々に襲い掛かります。真相は断片的にだけ明かされるのですが、そこでホラー以外のジャンルにも踏み込んでいく異色の作品です。
ホラーに造詣の深い作者が、既存のホラーのサブジャンルを熟知しながら、そこからいかにズラして新しいものを作るか、あるいはいかに“今しか書けない”作品を書くかに挑戦し続けている――そんな風に、作者のホラーにかける気概を感じさせられる一冊です。