今晩は、ミニキャッパー周平です。いよいよ97回目の更新となります。先週は貴志祐介『黒い家』をご紹介しましたが、実はあの作品、20年前の98年12月に刊行されたムック『このホラーが怖い! 99年版』の年間ランキングの国内編で第1位を獲得しているのです。もっともこのムックは『このミス』などと違い一度しか刊行されなかったため、『黒い家』が国内ランキングで1位を獲得した唯一の作品になってしまった訳ですが。さて、国内編のランキングがあったということは、海外編のランキングも当然あったのです。ちなみに海外編2位はキングの『グリーン・マイル』。
という訳で本日の一冊は、『このホラーが怖い!』年間ランキング海外編1位(訳書の初刊は97年)。『奥の部屋 ロバート・エイクマン短編集』(今本渉編訳)。国内編1位がジェットコースター的なエンタメホラーであったのに対して、こちらはじわじわと不気味な、闇深き幻想文学といった趣です。
比較的分かりやすくホラーなのは二編くらい。「何と冷たい小さな君の手よ」は、間違い電話をきっかけに、電話の先にいる女性に懸想してしまった男の物語。すこし不思議系ラブストーリーのような展開から一転して、女との通話に憑りつかれ、日常を奪われ魂を削られていく男の鬼気迫る姿を描きます。ラストシーンの鮮やかさは随一。「待合室」は鉄道の乗り換えに失敗し、無人の待合所で過ごすことになった男の一夜の体験。照明をいじったり、寝心地の悪い座席になんとか身を横たえたりしているうちに夢うつつに見た光景は……これら二作品は、誰が読んでもホラーに分類する内容でしょうし、特に「待合室」は短いながら全ての種明かしがなされている、本書中唯一の作品といっていいでしょう。
さて、残り五本は一筋縄ではいかない作品ばかり。著者紹介に「謎めいた暗示と象徴により新しい恐怖を創造した」と書かれている通り、おおむね、凶兆や幻視めいた影が現れるものの決定的な出来事は語り手の眼前で起こらず、怪異の正体は明示されることもなく、断片的な手がかりだけが残され、読者が我に返るといつの間にか語り手が不可解な心理的喪失を負っている――という感触です。
表題作「奥の部屋」を例に挙げて見ましょう。ドライブ中に車が故障してしまった一家が、偶然辿り着いたのは雑貨店。そこで長女・レーネが両親に買ってもらったのは、奇妙に暗いムードのあるドールハウスだった。ドールハウスの中を窓から覗きこんでみると、ごくごく普通の人形に交じって正気を失ったような表情のものがある。こじあけて中を確かめようとしても、レーネの力ではドールハウスの扉を開くことができない。レーネは夢の中でか、現実でか、ドールハウスの中にいるはずの人間が、外の世界にいる姿を目撃する。やがて、測量方法を学んだ弟が、ドールハウスには外から見えない隠し部屋が存在しているらしい、と告げる。それを聞いて中を確かめた母親は、有無を言わさずドールハウスを封印し、売り飛ばしてしまう――ここまでが前半部分であり、後半では意外な形でレーネがドールハウスと再会しますが、母親が何を見出したのか、怪しい様相の人形は何だったのかは最後まで明らかにされないままです。しかし、詳細かつ不気味なドールハウスの細部の描写をじっくり読んでいけば、何か回答めいたものが浮かびそうな気もします。
「スタア来臨」は、さびれた町の劇場の公演に、往年のスター女優が出演することになる話。町の宿には女優の追っかけをしているという男が泊まるが、すぐに姿を消し、ぱたぱたと中から音のするスーツケースだけが残されている。女優本人も宿にやってくるが、彼女が伴っている付き人も素性が知れない。やがて舞台の幕が上がるが――
「恍惚」では、絵画を趣味とする男が、好きだった画家の、年老いた未亡人を訪問する。画家のことを訊くはずだったのに、未亡人と会話しているうちに動物の影が横切ったような気がして、気づけば、未亡人の発する奇妙な命令に従っている。
「学友」では女性主人公が語り手。幼い頃に仲の良かった少女・サリーと久しぶりに再会すると、不自然に病み衰えており、彼女の家を訪問すると、何かの生物の気配と、亡くなったサリーの父親(母親は実在すら怪しい)の痕跡が蟠っている。
「髪を束ねて」は、交際中の男性の実家を訪問した折に、近隣に住む変わり者の中年女性から声を掛けられる、というなんということのない導入から、不可解な儀式が行われているらしい森の迷路へと導かれていく。
この辺りになると「わかりやすい解説が欲しい」という気持ちも沸いてきますが、各作品の語り手は基本的に、起こる現象の正体をつきとめようとせず、何かに取り込まれたように淡々と叙述していきます。それでいて、何者か分からない動物や人間の影がさっと横切る、というモチーフをはじめ、不吉な描写の積み上げで、死神とか悪魔とか死の気配とか狂気とかいった連想を引き出し、読者を深い靄に包んでいく。なんとも得体の知れない、「モダン・ホラーの極北」の煽り文句にふさわしい一冊です。