2016年4月16日土曜日

邪悪なる帝国と、邪悪なる神々のオデッセイ――朝松健『邪神帝国』


今晩は、ミニキャッパー周平です。まずは宣伝から。平山夢明先生の手による、ノベライズ『テラフォーマーズ 悲母への帰還』4月19日発売です。最凶ホラー作家が「テラフォーマーズ」の世界で描き出す怒涛の物語、ぜひご一読を!!

さて、GWも近くなってきましたので、前々回のイギリス、前回のインドネシアに続いて、今回も、異国を舞台にした作品を選んでみました。
というわけで、本日のテーマは、朝松健『邪神帝国』です。


タイトルにある「帝国」とは、第三帝国――第二次世界大戦期のドイツです。当時のドイツは、総統アドルフ・ヒトラーの指揮するナチ党に支配されていた訳ですが、ヒトラー及びナチスは、オカルトにも強い関心を持っていたことが分かっています。

本編は、彼らが傾倒・信奉していたのが、クトゥルーの神々――人間の想像力が作り出したもっとも邪悪な神だったら、という、歴史のifを出発点に、史上稀に見る凶暴な国家がなぜ生まれたかを、短編を積み重ねて解き明かしていく物語なのです。

「帝国」の内部にいる人々は、各々が少しずつ、その闇を垣間見ることになります。のちにヒトラー暗殺計画の実行犯となる男は、古代遺跡に記された予言からドイツの悪夢的な未来を知り、さらに総統のそばに、得体の知れない者たちを幻視します。ナチス内部では、副総統のルドルフ=ヘスと親衛隊長官のハインリヒ=ヒムラーが、「ヨス・トラゴンの仮面」なる呪具を巡って、暗闘を繰り広げています。ドイツが秘かに開発を進めていた南極大陸では、軍人たちが禁忌の地「狂気山脈」を侵して、眠っていた異形の怪物たちを目覚めさせます。彼らの遭遇する血なまぐさい事件を通して、読者には、帝国全体を覆った暗黒の正体が少しずつ見えてくるのです。

「第三帝国」から距離・時間を隔てた場所の物語も含まれていますが、それらも、この世界観の中心に向かって収斂していきます。十九世紀末のイギリスで起こった切り裂きジャック事件の陰にも、邪悪な神の意思と、ナチスへと繋がる災厄の種が隠されていますし、現代の日本にも、遠いドイツでの悲劇の残滓が影を落とすことになります。

スパイアクション風味になったり、オカルトミステリになったり、様々な趣向で読者を楽しませてくれますが、どの短編も、人間の太刀打ちできない禍々しい存在と対峙させられる、真に恐るべきホラー作品であることは間違いありません。クトゥルー神話に詳しい方なら、戦車VSショゴスとか、UボートVSダゴンといったような対決(一方的ですが)に興味を惹かれることでしょうし、そうでない方も、ロンギヌスの槍や高名な吸血鬼をはじめ、オカルト要素がふんだんにまぶされた「帝国」の物語に引き込まれ、恐れおののくことでしょう。

「邪神帝国」に収録された小説群は、カルトや終末思想が日本にはびこった、90年代半ばに書かれました。ただし、読み通して頂ければ分かると思いますが、この作品は、オカルト的なものを求める時代に便乗して書かれた、というよりも……「力を求める心が、クトゥルーの邪神/第三帝国の暴虐を呼び出してしまう」というホラー作品を通じて、時代に対して警鐘を鳴らそうとしたように見えます。悪夢が小説の中に留まり、現実に這い出してこないように祈りたいものですね。

(書影はAmazonより流用しました。)