知っているはずの場所、何度も行ったことがあるはずの場所に、なぜかたどり着けなくなったことはありませんか? それは些細な勘違いでしょうか、それとも、あなたの記憶に致命的な齟齬が生じつつある証拠でしょうか?
というわけで、本日ご紹介するのは小林泰三「酔歩する男」(『玩具修理者』収録)。
発表から20年近くたちますが、2014年にも、Twitter上での怪談短編オールタイムベストで9位、SFマガジンでのSFオールタイムベスト国内短編部門の18位を獲得。
そんな順位が示すように、「時間ホラーの最高傑作」として推す人も多い、記念碑的な一本。
ときどき、知っているはずの場所をなぜか見失ってしまう、そんな細かい記憶の「ずれ」に悩まされている「わたし」。ある夜、酒場で親しげに声を掛けてきた見知らぬ男は、なぜか「わたし」の素性や過去を全て知っていた。男は静かに語りはじめた。男自身と「わたし」の身にかつて降りかかった、そして今なおつづく、最悪の運命について……。
「時間ネタ」の小説は、怪異や呪いであるとか、想いの力であるとか、宇宙人のテクノロジーであるとか、超常要素を事件の原因として設定することが多く、「物理的に」「どうやって」時間の流れが狂わされているのか、説明されることは稀です。
しかし、この作品では、量子力学や、脳科学を駆使する論理のアクロバットによって、
登場人物たちが自ら、医学的処置によって「時間の流れ」を破壊してしまいます。
そうして彼らが生み出してしまった現象は、同じ一日が繰り返す通常の「時間ループ」よりも遥かに厄介で、取り返しのつかないもので……。ホラー史の中でも、ここまで苛烈な地獄に落とされたキャラはそう多くないでしょう。
著者・小林泰三の十八番である、「論理による恐怖」が溢れる作品でもあります。登場人物らが、現代物理学にのっとった時間論や意識に関するディスカッションを交わせば交わすほど、かえって悪夢的な、絶望的な結論に向かって滑り落ちていきます。
「夢見が悪くなるホラー」を薦めてほしい、と言われたら、真っ先に私が推す作品です。
意識や時間論に踏み込んだきわめて現代的な小説なのですが、一方で、実は奈良時代から千葉に伝わる「手児奈」という女性の伝承をモデルにした作品でもあります。同じく「手児奈」伝承を引用しつつ中国の怪談をリファインした、上田秋成「浅茅が宿」というホラー作品もあります(江戸時代の怪談集『雨月物語』の一編)。共通のモチーフから生まれ、恋情と反魂を軸に置いたホラー作品でありながら、「酔歩する男」とベクトルは正反対。ぜひ、読み比べてみてください。
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『玩具修理者』の書影はAmazonより引用しました。
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