2018年4月21日土曜日

一家毒殺事件の起きた屋敷は、夢見る乙女の隠れ家――シャーリイ・ジャクスン『ずっとお城で暮らしてる』

今晩は、ミニキャッパー周平です。現在更新第95回目。記念すべき100回が近くなってくると、名作や古典と呼ばれるもので、まだご紹介していない本をできるだけ取り上げたくなります。

という訳で、本日の一冊は、シャーリイ・ジャクスン『ずっとお城で暮らしてる』。


 作者は、超常的な要素を使わずとも、人間の心に潜む悪意――というか、悪意すらなく駆動する暴力性を描くことで、十分に背筋をぞっとさせられることを作品によって示してきた作家です(有名な短編「くじ」はまさにその一例)。本書は1962年に発表されたその代表な長編。

主人公である女性、メアリ・キャサリン・ブラックウッド(愛称・メリキャット)は、村の大きな屋敷に、姉・コンスタンスと伯父・ジュリアンの三人で暮らしている。かつてその屋敷は、メリキャットたちの他、父母や弟、ジュリアンの妻という家族が暮らす賑やかな場所だったが、六年前、ディナーの砂糖に砒素が盛られるという事件が起こり、彼らはみな死んでしまったのだ。以来、殺人者と疑われて裁判にかけられたコンスタンスは、無罪になった後も家の外へ出られなくなり、生還したジュリアンおじさんも後遺症で体が不自由になって、認識にも障害が残っている。ただ一人元気なメリキャットは、三人の生活を維持するため、毎週火曜日には屋敷の外へ買い出しに出かける。村人たちが殺人者の家族に向ける、嘲笑と恐怖の視線を浴びながら……。

本書の感想をシンプルに言い表すなら、「作者の思い通りに心を痛めつけられ、翻弄される」というものでしょう。
冒頭部、屋敷の外で、村人の大半がメリキャットに悪意をもって接するくだりは、昔の少女漫画で主人公が陰湿な苛めを受けるシーンさながら。特に、喫茶店の中で村人の一人がメリキャットに対して行う執拗な嫌がらせ、心理的攻撃には、読者は(体験したことのないはずの)過去のトラウマを抉られるような気持ちになります。そんな状況に対して、必死に空想を繰り広げて自身を防衛しようとする健気なメリキャットの姿を見ていると彼女にどうしても肩入れしてしまうでしょうし、彼女の「死んでしまえ」という祈りに共感させられます。
しかしいったん屋敷の中に戻ると、過去の惨劇によって時間の止まってしまった彼女たち三人の、歪んだ日常生活、あるいは姉妹の共依存関係にこれはこれで言いようのない不快感・違和感がわいてきます。生活のサイクルや調度品についての奇妙なルールを守り、大量殺人事件が影を落としながら真実の周りを素通りするような会話がなされ、善意の訪問者も追い返してしまい、一切事態を好転させようという考えが見られない。空想的なメリキャットの語りも、健気というよりも偏狭さ、不気味さを増してきます。
ところが物語の中盤で、闖入者――二人のいとこであるチャールズが屋敷に訪れ、恐らくは金銭目的で彼らを引き離そうとし始めます。そのことに(特に、姉のコンスタンスの心を奪われかけることに)立ち向かおうとするメリキャットの姿は、やはり応援したくなってしまいますが、しかし……。

本書の特筆すべき部分は、何よりもメリキャットのいびつな視界、世界に対する見方でしょう。おまじないや超常的な力を疑いなく信じ、身の回りのあらゆるものを読みかえ、自分の世界を守るために用いていく彼女。買い物のルーチンを脳内ですごろくめいたゲームに設定する、他人に口にされてはならない「魔法の言葉」を設定する、家の鏡を割ったり本を木に釘で打ち付けるといったオリジナルの防衛のおまじないをかける、月の上の理想郷に想いを馳せる、などなど。子供なら微笑ましくても十八歳の人間が真剣にこれらをやっているというのがひどく不気味です。現世的な利益のために屋敷へ侵入するチャールズも、彼女にとっては「幽霊」にしか見えなかったりするのです。果たして彼女の口から語られた内容は、どこまでが真実なのか?
あきらかに壊れている日常の中で空想に遊び、「幸せ」を装って生きている、十八歳の「子供」の物語。メリーバッドエンド後の世界をずっと生きているみたいな物語にご興味がおありの方はぜひ。



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