2017年11月25日土曜日

バースデーケーキは人肉で……マット・ショー/マイケル・ブレイ作、関麻衣子訳『ネクロフィリアの食卓』

今晩は、ミニキャッパー周平です。書店で気になった本はとりあえず冒頭を立ち読みしてみる派です。今回ご紹介する本は、開くといきなり、「WARNING 本書は成人の読者を想定して書かれた、過激なホラー小説です。(略)過激な表現を好まない方や、ショックを受けたり気分を害しやすい方は、ご注意ください」との、「警告文」が掲載されています。次のページをめくると、「幅広いホラーファンに届く作品を書くつもりだったが、書いているうちに本当に恐ろしい物語になってしまった」「この作品の内容は物議を醸すだろう」的な「著者からのメッセージ」が、共作なので二人分並んでいます。物語が始まる前からこんなに連続で脅かされる作品もあまりないでしょう。

というわけで、今回のテーマはマット・ショー/マイケル・ブレイ作、関麻衣子訳『ネクロフィリアの食卓』。



ガソリンスタンドの売店で働くクリスティーナは、1991年から現在(2014年)まで長きに渡って続いている連続失踪事件に、強い関心をもっていた。ホラー小説ファンでもあったクリスティーナは、ガソリンスタンドに訪れる客を殺人鬼に見立てる「遊び」を繰り返しているうちに、運悪く連続失踪事件の真犯人である老人と老女に遭遇し、拉致されてしまう。

クリスティーナが目覚めたのは森の中の家。叫び声を上げても誰も助けに来ず、厳重に封鎖されていて逃げ出すこともできない。家の住人は、老人と老女、そして彼らの息子――人間の皮でできたマスクを被った、二メートルを超す長身の怪物――だった。クリスティーナは、同じく拉致されてきた会社員の男性・ライアンとともに、息子の「誕生日」に必要とされたのだった。地獄の誕生日パーティーが始まる――

この物語は、ファンタジー・超自然の要素を一切含まず、徹頭徹尾、現実に存在しうる(性的なものも含む)暴力と殺戮の姿を描いた鬼畜系ホラーとなっています。

作中、もっとも精神に与えるダメージが大きい箇所は、「怪物」の誕生を描く章。夫から陰惨なまでの虐待を受けながら、逃げることも自殺することもできず、泥沼に嵌まっていく女性の姿を描いており、その臨場感に欝々とした気持ちになること必至です。特に、子供だけは守ろうとしていたのに、だんだん心が麻痺していく辺りの嫌なリアリティは強烈です。

しかし最大の見せ場はやはり誕生日パーティー。「メインディッシュは生きた人間」と帯でうたわれているので、カニバリズム描写は予想できると思います。しかし、「人間バースデーケーキ」に蝋燭を立てるために切れ込みを入れて……という箇所には、絵面のエグさにページから目を逸らしたくなりました。

暴力描写、精神的な痛めつけが強く、冒頭の警告文も納得の内容といえます。警告文に怯まない方はお楽しみください。


そして、カニバリズム描写といえば、第1回ジャンプホラー小説大賞銅賞受賞作『ピュグマリオンは種を蒔く』電子書籍で発売中。こちらもよろしくお願いいたします。

2017年11月18日土曜日

戦火の時代。少年は、あらゆる妖と霊宝が息づく屋敷に出会った――山吹静吽『迷い家』

今晩は、ミニキャッパー周平です。先週は、映画シン・ゴジラの地上波初放送が盛り上がりましたね。映画館で見た時もそうでしたが、やはり「自分の見知った町」がなすすべもなく破壊されるシーンが心に与えるインパクトは大きく、日本人にとって最上の恐怖を与えてくれる作品だと感じました。

今回ご紹介する本も、日本だからこそ生まれた恐怖譚にして、日本ならではの傑作――山吹静吽『迷い家』。



太平洋戦争のさなか。父が出征先で戦死し、母をも空襲で喪った少年・心造は、唯一の家族である妹・真那子ともに、集団疎開により山村に身を寄せている。心造は空襲の記憶に苦しめられながらも、戦争を厭う者たちを蔑み、本土決戦への覚悟を決めていた。

だがある日、真那子が同じく東京から疎開してきた少女とともに、姿を消した。警察の山狩りでも真那子は見つからず、自身で山中を捜索していた心造の前に忽然と現れたのは、巨大な屋敷だった。出会った者は神隠しに遭うというその屋敷に、妹のため、心造は単身で踏み込んで行くが……。

まずは、野山を駆けずり回って食糧を調達しようとする子どもたちの苦労、疎開者と地元の少年らの確執など、当時の空気が肌で伝わってくるような集団疎開生活のリアルな描写に、読者は否応なしに「戦時下日本」にタイムスリップさせられます。そして、両親を亡くし、戦局の不利を十分に理解しつつも、軍国少年として戦い抜く悲壮な決意を固めている心造の痛ましい姿に、胸を奪われるでしょう。

しかし何より素晴らしいのは、日本古来からの伝承である「迷い家」――神隠しに遭ったり山の中で迷ったりした人が出会う無人の屋敷――を、「妖や霊、霊宝の集まる場所」とした独自設定でしょう。心造は、迷い家の中で無数の霊宝に出会うのですが、その物量たるや、昭和までに日本で語られた怪異・怪談の全てを内包せんばかりの膨大さです。また、山姥や河童やのっぺらぼう、ろくろ首や雪女など、当時ですら一種ユーモラスにさえ感じられていた日本妖怪を、現代の私たちにとっても視覚的・生理的に「恐ろしい」存在として凄絶に描き切る筆力に舌を巻きます。そんな妖ばかりの家が、脱出不可能なホーンテッドハウスとなり、妹を助け出そうとする心造を翻弄する展開は手に汗握るものです。

物語には中盤から、戦後の視点――真那子とともに姿を消しながら、記憶を失って一人生還した女性の視点から語られることになります。迷い家のもつ恐怖はそのままに、時代が変わったことによって訪れてしまった「致命的な齟齬」が読者の心を突き刺さしていくことになります。そして訪れるのは破局か救済か。

「脱出できない幽霊屋敷で恐るべき次々モンスターが襲ってくる」というハリウッドホラーに通じるエンタメ感を持ちながら、日本怪談の総決算であり、ある時代の日本に暮らした人々――国家を信じて戦い、生き、死ななければならなかった人々――への鎮魂の詩として、涙を誘われる傑作です。


2017年11月11日土曜日

殺人者が徘徊する無人の温泉街、失われた記憶に蘇る惨劇――野城亮『ハラサキ』

今晩は、ミニキャッパー周平です。
突然ですが、皆さんは本の帯をつけたままにする派でしょうか、それとも一度は外してみる派でしょうか。私はとりあえず一度は帯を外して、隠れている部分を確かめる派です。
本日ご紹介する本は、帯付きで見ると「虚ろな瞳の女性がこちらをまっすぐ見据えている」というイラストですが、帯を外してみると、「女性が包丁をこちらに向けて構えている」のが明らかになるという仕掛けが隠されているのです。何気なく帯を外した時ビビりました。

というわけで、今日の一冊は、野城亮『ハラサキ』。


竹之山温泉街で育った女性・百崎日向は、幼少時の記憶を失っていた。里帰りのために竹之山に向かっていた日向は、駅で小学校の同級生だったという沙耶子に声をかけられ、母校を訪れることに。だが、彼女たちがたどり着いた竹之山の町は無人で、ハンマーをふるって襲いかかる謎の影が徘徊する、暗黒の異空間だった。日向は影から逃げ回り、異空間からの脱出を試みるが……。
その頃、一足先に、現実世界の竹之山に無事到着していた日向の婚約者・正樹は、連絡の途絶えた日向の捜索を始める。彼女の失踪の影には、町でささやかれる「ハラサキ」の噂――『悪いことをしたり夜に出歩いたりすると、ハラサキの世界に閉じ込められて腹を裂かれる』という都市伝説が見え隠れする。

「辿り着いた駅に誰もおらず、異変を感じて電車に戻ろうとすると電車が走り去ってしまう」という、インターネットフォークロアめいた序盤から一転、謎のルールに支配された空間から逃げ出そうとする、脱出ゲーム的な展開に向かう本作品。ヒロインが閉じ込められた「檻」であるところの竹之山の町の情景が美しく物悲しいのが、ホラーとしての緊張感やおぞましさと、絶妙なハーモニーを奏でています。雪の積もりゆく温泉街、廃旅館、無人の土産物屋、焼け落ちる家、雪原の先の小学校、そして夕焼け。過去に起きた惨劇の現場さえ、郷愁を誘い、目に焼き付くようです。


物語を牽引していくのは、逃走劇のスリルばかりでなく、散りばめられた謎の数々でもあります。異空間で発見された死体の身元、その死体が握りしめていたメモに書かれた<処刑場>という言葉の意味、記憶喪失である日向の小学校時代、日向の両親の死の理由、影の正体。そんな様々な謎が、徐々に解きほぐされていくうちに、読者は「日向は助かるのか」そして「助かるべき人間なのか」と心を翻弄されること請け合いでしょう。最初に述べた、女性が包丁を構えているカバーイラストも作中で重要なシーンを描いたものと思われますので、読後に改めて見てみると更にぞっとします。スピーディな物語かつ200ページと少しというコンパクトさであっという間に読んでしまえる小説ですが、最後の最後までどうぞくれぐれも油断なさらぬように。

2017年11月4日土曜日

怪異集結、世界の存亡をかけた戦い――ロジャー・ゼラズニイ『虚ろなる十月の夜に』

今晩は、ミニキャッパー周平です。この間、CDを借りようと渋谷に向かったところ、ちょうどハロウィンの仮装をした大群衆と出くわして、進むことも脱出することもできない大変な目に遭いました。子どもの頃は日本国内ではそんなにポピュラーだった気がしないので、これほど日本にハロウィンが定着していることに隔世の感を覚えます。

さて、今回は、そんなハロウィンが舞台になった素敵な作品を。SF・ファンタジー作家のロジャー・ゼラズニイによる『虚ろなる十月の夜に』(訳:森瀬繚)です。



19世紀末、ある年の10月。切り裂きジャックに飼われる犬・スナッフの日課は、主人の仕事の手伝い。魔術的な力を持ち、人の言葉を理解するスナッフは、警察や敵対者に追われるジャックを守る番犬でもあり、使い魔でもある。スナッフばかりでなく、近隣では、ネコ・ヘビ・コウモリ・リス・フクロウなど様々な動物が、それぞれの飼い主の使い魔として動き、情報を収集し、何やら準備をしている。動物たちとその飼い主たちは、実は、世界をかけた戦いの参加者なのだ。彼らの正体は、古の神々を復活させようとする≪開く者(オープナー)≫と、それを阻止しようとする≪閉じる者(クローザー)≫。二つの勢力は、ハロウィンの夜に行われる「大いなる儀式」に向けて魔術的な闘争を繰り広げる――。

というわけで、10月1日から1031日までの戦いの経過を描いた作品です。序盤は次々に喋る動物が登場するファンタジックな絵面ですが、互いに「どちらの陣営に属しているのか」を探り合いながら情報交換をするという、ゲームの準備段階のような内容(登場キャラクター数がかなり多いので、自分で登場人物表を作りながら読んだ方が分かりやすいと思います)。当然ながら読者にも、どのキャラがどちらの陣営に属しているか、なかなか明かされないのでやきもきさせられます。そして新月の夜辺りから参加者がついに衝突を開始。死者や退場者が出始めるとがぜん物語は盛り上がり、大いなる儀式に向けて、一気に加速していきます。

作者の旺盛なサービス精神が満ちている物語でもあり、ジャックを追っている(女装もする)探偵はどう見てもシャーロック・ホームズだし、マッドサイエンティストが死体のパーツを繋ぎ合わせてフランケンシュタインの怪物を作り上げようとしているし、コウモリの飼い主は超常的な能力をもつ「伯爵」だし、満月の夜が近づくと変身しそうになるやつはいるし、とオールスターが夢の競演、といった感があります。その彼らが古の神々、即ちクトゥルーの神々の復活をかけて戦っているという豪華さであり、ゲーム化とか映画化とかしてほしい内容になっています。


11月になってしまいましたが、忙しくてハロウィンを楽しめなかった、という方はぜひ本書で、マジカルなハロウィンを体験してみてはいかがでしょうか。