2015年12月19日土曜日

吸血鬼VS人類 (※ただし、人類は自分ひとり)

今晩は。19日(土)、20日(日)のジャンプフェスタ2016に向けて、絶賛準備中のミニキャッパー周平です。

まずはCMから。大ヒットダークファンタジー『終わりのセラフ』から生まれた新シリーズ。人類の敵である「吸血鬼」たちの過去に迫る、小説『終わりのセラフ 吸血鬼ミカエラの物語1』、発売即重版がかかるなど、大好評発売中です!(Amazonへのリンク)



今回は、その大ヒットにあやかって、「吸血鬼との絶望的な戦い」が描かれる作品、リチャード・マシスンの"I Am Legend"を取り上げます。『吸血鬼』『地球最後の男』『地球最後の男〈人類SOS〉』『アイ・アム・レジェンド』と四つの邦題があるこの作品は、映画化もされているので、映像としてご覧になった方も多いかと思います。






突如として、多くの人々が理性を失い、血を貪る吸血鬼と化した世界。
夜になれば、吸血鬼と化した群衆が獲物を求めて徘徊する。
そんな中、妻子を失った男は吸血鬼になることを免れ、たったひとり生き延び続けていた。
昼は、活動を休止している吸血鬼たちの心臓に杭を打って周り、夜は、バリケードを破ろうとする吸血鬼たちに神経をすり減らしながら、自宅に立てこもる。絶望的な日常をおくりながら、男は、吸血鬼たちの正体をつきとめようとするものの――

というわけで、吸血鬼によって文明が崩壊した世界での、男のサバイバルがメインになった作品。……今まで私がこのブログで紹介した作品の中では、案外「普通」のプロットだと思われるかもしれません。確かに、吸血鬼(今では、ゾンビの方が多いかもしれませんが)の影に怯えながら、一箇所に篭城し、必死で生き延びようとする物語は、現在となっては、シンプルでよくあるものに思えます。

ただそれは、1954年に発表された本作品が、あまりにも後世のホラーに影響を与えたためですし、それに、シチュエーションの類似した多くの作品が発表された今も、"I Am Legend"は「古臭くて読めない」作品にはなっていません。それは、この作品が、恐怖やスリルの物語であると同時に、悲しみの物語でもあるからです。

「人類VS人類の敵」という構図の作品は、基本的には集団VS集団の物語になるものですが、この主人公には、誰ひとり仲間はいません。もともと人間の生き残りが他にいないうえに、吸血鬼を殺戮し続けていくうちに、孤立をいっそう深めることになります。

悪夢的な世界にただひとり取り残されてしまった主人公の、人類最後の男としての圧倒的な「孤独」――ひりひりするようなその痛みは、発表から六十年以上の時を越えてなお、読者の胸を締め付けます。

亡くなった妻や子供の記憶。寂寥感にあふれる、人が消えた図書館の風景。生き残った犬を手懐けようとする場面。そして、タイトルの意味が読者に提示される、衝撃的なラスト。
どれもが印象的で、読後、長く余韻を残す、哀切な傑作です。
さて、吸血鬼ものの中でも、かなりウェットな作品を紹介してみましたが、それこそ『セラフ』のように華麗な吸血鬼が登場する、豪華絢爛なヴァンパイア譚といえば――というわけで、次回に続きます。


※『アイ・アム・レジェンド』 の書影はAmazonより引用しました。