2019年1月19日土曜日

「病状の重い人ほど下の階に移される」奇妙な病院――ディーノ・ブッツァーティ『七人の使者 神を見た犬』



今晩は、ミニキャッパー周平です。直木賞・芥川賞の結果がこのほど発表されていましたが、今回の直木賞にノミネートされていた深緑野分さんが、今まで読んだ中で一番こわい短編小説としてツイッターで挙げていた作品のひとつが、ディーノ・ブッツァーティ「なにかが起こった」でした。

ブッツァーティは寓話的な小説を得意とするイタリアの幻想作家で、ホラー作家という訳ではありませんし、本日ご紹介する短編集も、一冊丸ごとホラーという訳ではありません。
ただ、ホラー系アンソロジーにたびたび収録される歴史的に重要な短編を二本収録しており、ぜひこの機会にご紹介しておきたく、取り上げることにします。

という訳で、今日の一冊は、ディーノ・ブッツァーティ『七人の使者 神を見た犬』。



怖い作品として言及されることの多い短編のひとつが、「七階」。
病気のごく軽い症状で入院することになったジュゼッペ・コルテ。彼のあてがわれた部屋は七階だった。コルテが看護婦から聞いた話では、この病院は独自の管理システムを敷いており、七階には症状がとても軽い患者、六階には症状は大して重くないがなおざりにはできない患者、五階にはもう少し症状の重い患者……そして一階にはもはや死を待つばかりの患者、というように、『症状が重い者ほど下の階へ』滞在させるシステムとなっていました。自分が七階にいられるほど症状が軽いということでほっとするコルテ。ところがある日、コルテ自身は特に症状が悪化していないのに、新しく親子が入院するということで『部屋の空きがないため、特例として』コルテは六階へ移されます。病気は軽いのだから部屋さえ空けば七階に戻れるはず、と信じるコルテ。しばらくして、今度は『病院全体で病気の等級付けを変更する』という名目で、やはり症状は悪化していないはずなのに、コルテは五階に移される、ということになり……ここから何が起きるかは皆さん予想がつくでしょうが、じわじわと真綿で首を絞めるように事態が進行していく、間違いなく怖い作品です。

そして前述の短編、「なにかが起こった」。十時間ぶっ通しで走り、終着駅までどこにも停車しない急行列車。そこに乗車していた男が何気なく窓の外を見ていると、走り過ぎる列車を見物に来ていたらしい女に、急な報せを届けにきている者の姿があった。その少し先では、手をメガホン代わりにして、野原の方に向かって何か叫んでいる男がいた。どうやら、広範囲に何かの非常事態が起きて、人々がその情報を共有しているらしいことが分かってくる。窓の外の光景はやがて切羽詰まった、大規模なものになっていくが、何が起きているのか乗客には分からないまま、列車は止まることもなく目的地へ突き進んでいく……10ページしかないのにひどく後を引く作品です。

ブッツァーティの作風としては、「ゴール地点があるかどうかわからない、それどころか正体不明のトラップが待ち構えているかもしれないマラソンを、否応なしに続けさせられるような不条理」、そういう状況を描くことで、手探りで進まなければならない人生の悲哀を描き出すといった印象で、「カフカより手軽に読み進められるものの、はまり込む沼の深さではよく考えたらカフカとあまり変わらない」作品群、という風に私は考えています。

他の収録作についても印象的なものをいくつかご紹介。
国の全貌を知るため、国境へ向けて旅を始めたのに、何年かかっても国境に辿り着くことができない「七人の使者」などは前述した作風を象徴しています。
信仰をないがしろにしていた街の人々が、奇跡を起こせるかもしれない犬の出現に、四六時中怯えて生活する羽目になる中編「神を見た犬」は、一種のディストピアものめいて見えるディテールが読んでいて滑稽であり、皮肉な結末も巧みです。
牢獄に入っている間に自分の地位を失ってしまった、山賊のもと首領が、最後の大仕事に挑む「大護送隊襲撃」は非常にエモーショナルな結末でお気に入りです。
奇想という意味では、自動車がかかる伝染病が蔓延し、感染した車の隔離・処分政策が進められているという「自動車のペスト」の発想もすごい。
戦争からようやく帰ってきた我が子が、なぜかマントを脱ごうとしない、という内容の「マント」は、読んでいて身を切られるような、胸が苦しくなるような物語。

ブッツァーティの作品群は、直接そうは書いていないのに人生のことを書いているように見え、それでいて説教くさくはなく、ラストは(破局を予期させる恐怖や、胸にジンと来る哀切で)心に残るというものが多いです。ほとんどの作品が短く、すぐに読めるので、ぜひ気軽に手に取ってみて下さい。